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草だけでなくうんこと死体も大事

私の野菜作りにおいて自然農、自然農法、自然栽培、協生農法などを参考にしておりまして、慣行農法や有機栽培とは考え方が違います。完全にはできていませんが、最終的には農薬や化学肥料の不使用は当然として、無施肥、不耕起、草や虫と共存し、生物多様性を確保した畑を目指しています。元々、自然保護が絶対的に必要だと考えてきたので、安心安全で美味しい野菜を食べたいというよりは、豊かな生態系の緑地を維持、創造したいというほうが勝っているかもしれません。林や宅地を林に変えるよりは畑のほうが取り組みやすいというのもあります。農家になればかなり安価に畑を購入できるので、その一点だけで農家になるという選択もあるかもしれません。

私が生まれたのは所沢の狭山丘陵の麓でありまして、豊かな農村というわけではないにしろ、林や畑に囲まれて育ちました。林は里山として豊かな生態系を人為的に維持して生活に役立ててきましたが、今となってはそのような用途はありません。農家も減ってきているので畑も林と同じように宅地に変わってきています。人口は減少し、空き家も900万軒あるという話なのに宅地に需要があるのでしょうか。嘆きの言葉ならいくらでも書き綴ることができるのですが、今回言いたいことはそんなことではありません。

自然と共生していく農法というのは、生まれ育った所沢に当たり前にあった暮らしのスタイル、光景と変わらないと思ったのです。里山です。里山は常に里山であってもらわなければ困るのは人間なので、搾取しつくすようなことがあってはなりません。上手に動植物との関係を維持しながら、生活に必要な材を得ることが大事です。畑も本来そうあるべきものではないでしょうか。名付けるなら「里畑」。

私の畑には沢山の虫がいて大事に育てている野菜が食べられてしまうこともあります。草も沢山生えてきて、時に厄介に思ったり、野菜を覆ってしまうこともあります。けれど、虫も草も同じ種が大発生して野菜がまったく育たないということはありません。なぜなら天敵もいるからです。生態系のバランスがとれていればその中に野菜を忍ばせて栽培しても健康に育ちます。正常な自然界では農薬も肥料も堆肥もわざわざ持ち込む必要はありません。石油をエネルギーにした大仰な機械もいりません。

話が長くなってきたというか前フリが長すぎなのですが、私の栽培方法では草が大事とされています。生えてきた草を刈っては畝に畝間に敷き、刈っては敷きを繰り返して野菜の生長を待ちます。大事なのは草だけではありません。そこに生き、うんこをし、死んでいく虫たちが折り重なることで豊かな土壌が出来上がっていきます。畑も林も変わりません。

長すぎる前フリと、内容が合っているかは分かりませんが、以下の映画を目にしてふいに書きたくなりました。

https://www.unkotoshitai.com/


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