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きみさえいれば

同棲していたモモちゃんとSとの一件(機会があれば書こうと思う)もあり、一人きりになった部屋とがらんどうの心に一匹の猫がやってきた。

1998年のある日。
動物病院の前を通り過ぎる時にふと目に止まった貼り紙に、【小猫譲ります】と書かれていた。
きっと寂しかったのだろう。
俺は、その足で動物病院に入っていき、外の張り紙を見て小猫をもらいたいと伝えた。
先生の娘さんとおぼしき中学生くらいの女性が、白と茶トラの小猫二匹を持ってきて見せてくれた。
ちょうど授乳時期を終えたばかりで、固形食を食べさせ始めているらしい。
どちらでも好きな方をどうぞと言うので、茶トラの小猫を譲ってもらい服の中に入れて抱いて帰った。

慣れない部屋で探検を始めた小猫を残し、早速買い物に出掛けた。
猫用トイレ、砂、小猫用の餌。
とりあえずは、こんなものか…。
小猫も俺も不安だった。

名前はコジョロウにした。
〘アニメ日本昔話し〙の【狐女郎】というお話しをたまたまテレビでやっていて、そのまま名前にした。
意味はない。
強いて言うなら狐っぽい見た目が名前の由来だろうか。
コジョロウは、頭のいい猫でトイレもすぐに覚えた。
最初の一度だけテレビの後ろでオシッコをしてしまい、それを拭いたティッシュを猫用トイレに入れて匂いを嗅がせただけで次からきちんとトイレでやるようになった。

そして二人の生活はお互い段々と慣れてきて、俺は家に帰るのが楽しみになっていった。

おもちゃもいくつか買ってきて一緒に遊ぶのだが、特にお気に入りは小さなネズミのおもちゃを紐で結んで、その紐を俺が操ってネズミを追いかけるという遊びだった。
俺がテレビを見ていると、そのネズミを咥えて歩き、俺の足にその長い紐をすーっと這わせて遊んでアピールをする。
決して直接的ではない控えめなところが猫らしいし、そんなところが胸を温かくさせた。

甘噛もよくした。
可愛さに耐えきれずに足等を軽く噛む。
少しづつ力が入っていき、にゃ~っとなったら止めて謝る。
甘噛をするのは俺のほうなのだ。

多くの猫と同じでコジョロウもお風呂が嫌いだった。
大抵の猫は水が苦手なのだ。
なのでコジョロウを洗うのは大変だったし、風呂場にはあまり近寄らなかったのだが、一度、俺が湯舟に浸かったのを見て溢れてるお湯もなんのその、湯舟のヘリまでジャンプして登ってきた事があった。
あんなに嫌がっていたはずなのに、勇敢にも助けに来たのだ。
なんて健気な…。

コジョは人が好きだった。
友達が遊びに来るといつでも興味津々で近づいていき、たくさん遊んでもらった。
なので、ピンポーンと呼び鈴が鳴ると玄関まで走って行く。
テレビからピンポーンが鳴っても、玄関まで走って行くのだ。
それほど人が好きだった。

コジョを抱っこするといつも決まって電気の紐に手を伸ばす。あの付けたり消したりする紐だ。
手を伸ばすものだから近づいてあげると、妙なテンションで超高速猫パンチを繰り出し大抵の場合、明かりを暗くしてしまう。
きっといつもあの紐に触りたいと思って暮らしているのだう。

ちょうどその頃、長年やり続けていたバンド活動にも終止符が打たれ、ギターを弾く事も、詞や曲を考える事も徐々にやらなくなっていった。
モモちゃんが出ていった1DKの部屋で、コジョが居れば何もなくても良いと思った。

ともあれ、一人暮らしには広すぎる中野(東京都)のマンションを引き払い、もう少し身の丈に合った場所に引っ越す事にした。
1999年の春、現在の住処、練馬にコジョと一緒にやってきた。
よく猫は人よりも家につくと言うが、コジョの場合は人につくようだ。
最初は新しいテリトリーの匂いを確かめていたが、一晩で慣れたようだった。

毎日コジョを残して仕事に行くのだが、帰ってくるといつも出迎えてくれる。
古い家なので、玄関を開けると薄い硝子をはめた引き戸なのだが、鍵を開けていると引き戸に顔を擦り付ける音が外からも聞こえる。
ただいま、と引き戸を開けると、それはもう顔が伸びるくらい甘えてくるのだ。
そんなコジョの純粋な愛情に、俺は、ただただ愛おしく思うばかりだった。


ある日の朝、なんとなく息の仕方がおかしいなと少しだけ心配になり、その日の夜に近くの動物病院に連れて行った。
検査のため1日預ける事になり、次の日に迎えに行った。
肺に水が溜まっていたと言われ、それは治療したのだが、原因は検査結果が出ないと何とも…と、先生は言った。

一週間後、結果を聞きに病院に行った。

遺伝性の白血病。
血液の癌。
抗がん剤治療。
完治は難しい。
安楽死も視野に。

その日は、2000年1月29日。
俺の誕生日の前日だった。
頭の中が真っ白のまま、家に帰ってコジョを抱っこしたら、いつものように電気の紐に手を伸して遊んでいた。
こんな事は今までないのだが、急に体がだるくなり、起きていることが出来なくなってしまい、布団に入った。熱があるみたいだ。
とりあえず眠ろう。明日考えよう。
眠りながらもうなされている俺の枕元にコジョがちょこんと座っていた。
「コジョ…大丈夫だから、自分のところで寝な」
そう言って眠ってしまったが、朝になって目を覚ましたら枕元でコジョは眠っていた。
涙が溢れた。
ボロボロ泣いた。
俺の心配なんかして…俺よりもコジョなんだよ?大変なんだよ?
そう言って抱きしめた。

抗がん剤は、ピストルみたいな道具を使って喉の奥に入れるとゴクリと飲んでくれる。
病院の先生は流石に上手で簡単にやるのだが、俺には難しい作業だった。
コジョを呼んで座らせて、片手で口を開けてもう片方の手でピストルを打つ。
それをコジョはひどく嫌がった。
投薬装置を手にしただけで逃げるようになった。
それでも心を鬼にしてやらなければならない。
コジョは、はじめて俺に爪を立てた。
手が血だらけになるので、厚手の軍手を付けるようになったが、今度は軍手を付けようとしただけで逃げ出すようになってしまった。
もう無理だと思い先生に相談したところ、薬を細かく砕いてジャムなどに混ぜ、鼻の頭に塗れば反射で舐めるとの事。
早速、家に帰り試してみたら先生の言う通り、ペロリと舐めてくれる。
そんな投薬を続けていたのだが徐々に食欲が落ちてきて、ペロリも難しくなってしまった。

そんな時、北海道の実家から魚が送られてきた。何の魚だったか思い出せないが、とにかく新鮮な魚だ。
食欲がないコジョに、なんとか美味しく食べてもらいたくて、その魚を骨や内臓ごと細かくなるまで包丁でたたいて、コジョにあげてみた。
すると、今までが嘘みたいに美味しそうに食べ始め、残さずぜんぶ食べてしまった。
食べ終わったコジョは、魚まみれの顔を今までにないくらいに俺にこすり付けて俺の手から足から生臭くなるほど激しく甘えていた。

それから何日もしないうちに、コジョはトイレの床を居場所にするようになった。
二月のトイレは寒いので、少しでも暖かいようにタオルを便座の蓋の上に敷いて床から上に上げてあげた。
その時、コジョの布のような軽さに驚き、便座の上のコジョを何時間も撫でていた。


2000年2月28日。
日曜日の夕方にテレビを見ていると、トイレから俺を呼ぶコジョの声が聞こえた。
駆け寄ってみると、コジョは便座の蓋から落ちそうになり必死にタオルにしがみついていた。
コジョを抱きかかえると、明らかに呼吸がおかしい。
床にタオルを敷きコジョを寝かせた。
瞳は開いたまま俺を見つめている。
呼吸は途切れ途切れで、「コジョ?」と呼ぶと、ハーっと息を吸い込むが、その後が続かない。
「コジョ…」
ハー

「コジョ?」
ハー

何回か繰り返していたが、途中からもう名前を呼ぶことが出来なかった。
俺が名前を呼ぶと必ず息をする。
きっと、苦しいだろう。

(コジョ?もう…いいよ。もういいよ。がんばったね。)

名前を呼ぶのを止めると、そのまま息をすることはなかった。

「コジョ、つらかったね。がんばったね。一緒にいてくれてありがとうね。」
息をしなくなったコジョを撫でながら、そうつぶやいていた。

その後、先生が家に来てくれて、死亡を確認してくれた。
先生曰く、人間にはたった一ヶ月でも猫にとっては四ヶ月ほど。
コジョロウくんは頑張ったと思う。
あと、生魚を与えて喜んで食べた事を話すと、それは、やらないほうがよかった。生魚なんて弱った体には負担が大きすぎる。
と言われた。
そんな事、考えればわかる事なのに、そこまで考えが及ばなかった。

先生が帰った後、コジョを箱に入れて撫でたり匂いを嗅いだりしていたが、不思議と涙はでなかった。
もう、ここにコジョはいなかった。
コジョを感じる事ができないのだ。
死とはこういうものだと、あらためて思った。

何日か涙は出なかったが、ある日の帰り道、ふと、(あー、そういえばもう急いで帰らなくてもいいんだよな)って思った瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
やっと泣くことができた。


コジョへ

コジョち、聞こえますか?伝わりますか?
コジョが死んでからもう1ヶ月ちょっと経ちました。
いなくなって1週間くらい、家に帰っては泣き出してしまったけど、もし俺が死んでコジョの事を見ているとしたら、コジョがさみしがったり元気がなかったら俺もすごくさみしくなるし、そばについていたいと思う。
もし、俺の事なんか忘れてしまって元気に生きていくならば、俺も本当に幸せだと思う。
だから、もう泣いたり寂しがったりしないように生きて行こうとしています。
だけど、突然泣き出してしまったりコジョのことを考えてる時は本当はつらい。ごめんね。
コジョは幸せだったかい?
薬、飲ませてごめん。苦かったね。
俺、コジョが病気になってしまって、コジョにとって何が良いのかわからなくなってしまった。安楽死したほうが良かったんじゃないか、そうすればあんな苦しむ事なかったのにね。
でも、俺は弱くてそうしてあげられなかった。
もう少し一緒にいようねって言ったけど、俺寂しいから自分の事しか考えてなかった。
でも、コジョがいってしまう時、日曜日だったからそれだけが救いです。
側に行けて抱いてあげられたこと
息が止まっていく時に頭を撫でてあげられたこと
あの時、「辛かったね、がんばったね、どうもありがとう」って聞こえたかい?
コジョの目が俺を追っていたのは錯覚だったのかな?もう意識はなかったよね。
この手紙はコジョには届かないかな…
でも、伝えたい。
俺は心の全部でコジョの事を愛してました。

コジョ?ありがとうね。

(原文のまま)








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