「怒りをうたえ」

なんだYouTubeで見れるぢゃないか!「怒りをうたえ!」(宮嶋義勇監監修)の完全版。全3巻で467分(7時間以上)もあったのかぁ。数日に分けて見たよ。

1969〜70年の安保・沖縄闘争の記録フィルムだ。法大生の頃、上映会で見た覚えがあるけど、こんなに長くはなかったと思うから、どれか1巻だったのだろう。

新宿騒乱事件から、東大安田講堂攻防戦、沖縄返還闘争、反安保闘争、羽田闘争、三里塚闘争、ベトナム反戦闘争などなど。

全編に渡って、ピッ、ピー、ピッ、ピーという笛の音と、ジグザグデモをやる人々の「安保粉砕!闘争勝利!」という叫びと騒乱、それに大規模集会と「我々わあ!…」「この闘争においてぇ!…」「権力の弾圧を跳ね返しぃ!」「圧倒的なぁ!革命的にぃ!」「…勝利しなければならなぁい!」などというアジ演説が占めている。それに対する警察と機動隊の規制、暴力、排除、弾圧の数々と対立党派との争いも。

この熱狂は一体なんなんだろうか?

学生の集会だけでも、全国から10万人もの人々が集まり、当時の女子高生まで参加する。結局、2000万人もの人々がデモに参加する。

少なくともこの時期、参加した国民は健康的だったように思う。日頃の不安や鬱憤でも、権力というハッキリとした相手を敵にして発散できただろうから。

デモでも何でも路上に人が溢れるってのは、その訴えている内容よりも参加者がいい知れぬ高揚感を味わえるという意味で大きな意義があると思う。日常踏み込めない領域に侵入し場を占拠共有することの非日常的熱狂は人間の初源的欲望の発露でもあるのだ。ストリートパフォーマンスも同様だ。こうした無秩序は時には革命の原動力にもなり得るのだが…。日本国はそうはいかない。

7時間もの長いフィルムを見て思ったのは、やはり参加者が得た高揚感を組織化できなかったことと、革命に至る条件が全然揃っていなかったこと、主導権を争ういわゆるヘゲモニー闘争に全てが動いたこと(🟰カルト化)にあるのではないか。

いくら人数を集めても、たいてい、革命は、起こそうと思って起こせるものではなく、意図しないところで自然に条件が揃って、流れが動いて革命に至るものである。時代の雰囲気もあるだろう。

これだけの人数が声を上げても、安保は痛くも痒くもなく延長、与党政権は続いて、何も変わらず。ただ参加した個人の内に経験として熱狂を残すのみだ。

このフィルムは、イデオロギー色が強いから、全ての闘争を肯定的に捉えてはいるけど。

あの左翼が“流行り”だった当時、全国で様々な闘争が席巻したと思うが、“勝利した”という闘争はほとんどないに等しいのじゃないか?

闘争は犯罪へと変化し、大衆は離れて、各党派は組織維持のためカルト化する。ただ政権与党の基盤がさらに強固になっただけ。

政治の季節が終わって、人々はシラけて退屈になって、考えることを止めてバカになっただけ。

日本の場合、受け入れることは得意だが、自ら何かを変えるということはまず不可能に近い。ただ、安倍テロみたいな個人的なテロが変えることはあるけど。

本当に変革を求めるのであれば、権力と対峙するよりは、事業で大成功して大金持ちにでもなって、権力がすり寄ってくるくらいになったら、変革の可能性が見えてくると思うがね。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。