⑨長崎原爆の日に。

人間は自然のものだけど、他の動物と違い、火を扱うことになってから、自然からの独立を義務付けられた矛盾した存在だと思う。自然を支配することになっても、結局、自然の一部であり、自然の呪縛から完全に逃れることは不可能なのだ。

自然からの独立の果ての一つに核エネルギーがある。人間が生活する生態圏には存在しなかったものを無理矢理、エネルギーとして持って来たのが核だろう。

核エネルギーは、そんなに低コストでもないし、廃棄物の問題もあるし、何よりも人体に大きな害のある放射能を避けて語ることはできない。悪いことだらけなのに、なぜ核エネルギーに惹かれるのだろうか?

多分、合理的理由ではなく、核に、人類の、自然から完全に独立した“未来”を見る宗教的な“信仰”のようなものではないだろうか。そういえば、前に鹿児島・川内原発のミュージアムを見学した時も、やたらと未来を強調した展示であったし。

他のエネルギーは太陽でも、石油でも、石炭でも、自然からの「贈与」、地球の生態圏の中にある「贈与」によって成り立っていたが、核エネルギーはその外側にあって、「贈与」を受けてない、人間が作ったエネルギーなのだ。そこに信仰に似た可能性を希望的に持ってるってことだ。例え人体に害を及ぼすとしてもだ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。