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『フラジャイル』弱さからの出発 松岡正剛 Ⅰ-2


Ⅰ ウイーク・ソートで?

敗北の美学のみが永続的だ。

敗北を解しないものは敗者だ。……

人がもしこの極意を、この美学を、

この敗北の美学を理解しなかったら、

その人は何にも理解しなかった人だ。
ジャン・コクトー「阿片」(堀口大学訳)



僕が初めて「フラジャイル」という言葉を意識に留めたのは、ステイングの『フラジャイル』だろう。

ステイングは人間の愚かさを嘆き『フラジャイル』として伝えた。


松岡正剛が記す“フラジャイル”は多様な“フラジャイル”だ。

弱さ、弱々しさ、薄弱、軟弱、弱小、些少感、瑣末感、細部感、虚弱性、病弱、希薄、
あいまい感、寂寥、寂寞、薄明、薄暮、はかなさ、さびしさ、わびしさ、華奢、繊細、
文弱、温和、やさしさ、優美、みやび、あはれ、優柔不断、当惑、おそれ、憂慮、憂鬱、
危惧、躊躇、煩悶、葛藤、矛盾、低迷、たよりなさ、おぼつかなさ、うつろいやすさ、
移行感、遷移性、変異、不安定、不完全、断片性、部分性、異質性、異例性、奇形性、
珍奇感、意外性、例外性、脆弱性、もろさ、きずつきやすさ、受傷性、挫折感、
こわれやすさ、あやうさ、
危険感、弱気、弱み、いじめやすさ、劣等感、敗北感、貧困、貧弱、劣悪、下等感、賤視観、差別観、汚穢観、弱者、疎外者、愚者、弱点、劣性、弱体、欠如、欠損、欠点、欠陥、不足、不具、毀損、損傷………辺境性、辺縁性、境界性などを書き示し“フラジャイル”を語る。
『フラジャイル』 1弱さの多様性より


 おおむね「弱さ」は「強さ」の設定によって派生する。
「強さ」の相対として「弱さ」は浮かび上がり、そして深淵さを帯びる。

松岡はここでは単純な二項対立は敢えて拒否している。
正常と異常、健康と病気、優性と劣性、本格と破格、平和と暴力、勝者と敗者、正統と異端などだ。

単純化してしまうと、探り出そうとしている「弱さ」の魅力がすぐさまひそめてしまうからだ。

世間ではよく「あいつには才能が欠けている」とか「あいつには情熱が欠けている」という言い方をする。ほんとうには何が欠けているのかはっきりしないはずなのに、たいていはこうやって他人をなじる。たがいに欠点や欠損を指摘しあうのだ。


中略

なぜ、世間(社会)はこのような他人の欠点や弱点に異常な反応をするのだろうか。

もっと妙なのは、これは誰もが知っていることであるが、きまって子供たちが人の欠点や弱点をすばやく見出すということだ。
『フラジャイル』 1弱さの多様性より

僕も子どもの頃は何度も叱られた。
「あのオッチャンは何であんなカッコしてんの〜?」
「あの、………」
しまいには、言い出す前に指差す手をはたかれて「やめなさい」と…。

学校での話題でも、他の家庭と違ったり、”みんな”が行った事のある所へ「行った事ない…」「見たことない」「持ってない」なども“マイノリティ”であれば「異質」とみなされた。

大人になっても少し体裁だけかえて、自分や他人の欠点や弱点をあてはめる。
子供のころに夢中になった遊びでさえ、恥ずかしい欠陥となる。

なぜ、かつては熱中できたものが、いまは弱さの刻印とみなされるのかという、その逆転の秘密を私は問題にしたいのだ。
もし、その弱点とか欠陥とみなされているものの内側に入っていけるなら、そこには何か格別な光景が見えてくるのではないかということなのだ。
『フラジャイル』 1弱さの多様性より


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