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美術展に行く、何気ない週末

5日間にわたる期末テストがようやく終了した。終わった後の達成感と解放感から金曜日は放課後に友達と焼肉を食べに行き、今まで溜め込んできたストレスを全て発散してきた。

友達と放課後にプリクラを撮ったり、ご飯に行ったり、スタバで永遠におしゃべりしたり。何気ない高校生活のヒトコマだけど、勉強だけではない大切な何かがそこには存在すると思う。ここで堅苦しい文章を綴っている私も、普段はどこにでもいる普通の高校生。オタクに全振りしていた日常から脱出し、現実世界に目を向けるようになってから、何気ない日常を改めてより大切にしていきたいと思うようになった。

そして、勢いだけで乗り越えた週の土曜日。私はテスト期間中からこれだけを楽しみに頑張ってきたと言ってもいいだろう。愛知県立美術館で開催されていた「ミロ展」に滑り込みでようやく訪れることができた。

以前からnoteで美術関係の本の紹介をしてきたが、知識をインプットしただけで、実際に美術作品を鑑賞してみるといった行動に移せずにいた。高校生の私にとって美術館や展覧会はまだまだ敷居が高いものとして感じてしまう。さらに、私が住んでいる地域は都会から少し外れており、気軽に絵を観に行くという感覚もあまりない。しかし、久しぶりにまとまった時間ができたことで心に余裕が生まれ、思い切ってひとりで美術展に行ってみることにした。


7月3日まで愛知県立美術館で開催されていたミロ展。
スペイン出身の画家、ジョアン=ミロが日本の文化に触れながら作品制作に没頭する過程を展覧会では追うことができる。

ジョアン・ミロは1893年スペイン・バルセロナ生まれ。スペインを代表する画家のひとり。一時は商社に勤務し、1912年からバルセロナのガリ美術学校で再び絵を学んで、印象派やフォーヴィスム、キュビスムの画家たちに影響を受けた風景画や肖像画などを手がける。初期に描いた《農園》(1921〜22)は、小説家のアーネスト・ヘミングウェイが所有していたことでも知られる作品。澄んだ青空が映えるスペインの風景に、木や白壁の小屋、様々な農具、ニワトリやロバなどの動物と、故郷でなじみのあったものをちりばめた、素朴ながら細やかな描写は、もの一つひとつに丁寧なまなざしを向ける画家の姿勢を感じさせる。
https://bijutsutecho.com/artists/235

ミロの作品は美術に対する知識がまだまだ乏しい私でも知っていた。だからこそ惹きつけられたのかもしれない。私がミロの作品に対して、抽象的ものが多くて理解し難いが、自由な画風とそこに存在する情熱が強く語られているという印象を受けた。

今回の展覧会では「13歳のアート思考」やその他の美術館関係の書籍を参考にして、自分なりの視点で作品を鑑賞するということを心掛けてみた。この方法を実践してみたからこそ、より作品を楽しめたと思う。知識の実践が重要なことをつくづくと感じた。

たとえばこの作品。背面に浮世絵が描かれている「アンリク・クリストフル・リカルの肖像」という作品だ。この絵をまず無心で観てみる。ミロ独特のタッチや色使いが印象的だ。さらに西洋画に混在する浮世絵の異質感もたまらない。次に説明文に目を通してみる。作品が生まれた時の歴史的背景などが書かれ、そこで自分の解釈と照らし合わせてみる。そして違和感を感じたら、もう一度作品に戻る。

いくつかの作品を鑑賞する中で、やはり自分の想像の範囲だけでは解釈できないほど、ミロ展にはかなり抽象的な作品が多かった。人物画と表記されていても人に見えるまでに時間がかかってしまったり。しかし、とても抽象的ではあるが、独特のタッチからミロの情熱をとても感じる。

特にスペイン内戦中に生きたミロが残した戦争へのメッセージが強く絵画にも影響されているように思える。展覧会の中では、祖国の美しい風景を描いた絵があったが、やはり表情やモチーフに戦争への思いが込められていることを感じ取った。中には思いが強くなりすぎるあまり、穴が空いていた作品があったほどだ。1枚の絵をこれほどじっくりと鑑賞して、絵に込められたメッセージや物語を追っていくからこそ、時間を忘れて心から絵を楽しめたと思う。個人的には、帰宅してからも脳裏に作品が浮かんでくるまでじっくりと鑑賞できたことがすごく嬉しかった。


今までは自分からは遠い存在だと思っていた美術を身近に感じた素敵な週末になった。しかし、作品を観ながら世界史に関する知識があればもっと楽しくなるだろうと何度思ったことか。これからも歴史の中に生きる絵画たちにもっと触れることができますように。


※この記事はあくまで素人の見解です

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