差別 という言葉からの気づき
こんにちは✨😃❗
いつもみなさんの温かい♥️ありがとうございます。
今日で、三日坊主を突破しましたw
今日は、最近、ふとしたきっかけで、気づいた自分にとっての大きな気づきについて書きたいと思います。
その気づきとは、
差別を認めることが、差別を無くす
ということです。
えっ?と疑問に思われる人も、本来の意味にすぐに気がつかれて共感される方もいらっしゃるかもしれません。
誤解がないように、先日の出来事から、なぜこんな風に感じたのか、書きたいと思います。
数日前、会社のインターンシップに参加した大学生が提出してくれた参加後の振り返りレポートにフィードバックを書いていたときのことです。
レポートに、学生が、こんなことを書いていました。
私は将来、世の中から、差別をなくしていきたい
これを読んだときに、「がんばれ❗」という応援する気持ちと同時に、
無意識に手が動き、こんなフィードバックを書いていました。
人はそれぞれに 差 があるし、
それぞれが 別 の存在ですね。
それを認め合う世の中にしたいですね。
自分でも書き終わったときに、自分の中で何か大きな気づきに頭をガツンと打たれたような感覚になり、自分が書いたというよりは、僕でない何かが無意識に僕を通じて書いたような不思議な感覚でした😮
一般的に使う 差別 という言葉には、これまでの様々な歴史や出来事からその言葉の示す意味はもっとシビアで、ネガティブなイメージがあると思いますし、僕もこれまでこの言葉を見てネガティブにしか見えませんでした。
なぜ、こんな発想が自分に芽生えたのか?
改めて考えてみました。
この5年くらいは、キャリアコンサルタントになり、人間の生き方をより深く考える機会が増え、同時に企業人事として社員の成長や充実したキャリアを構築するために組織にどんな文化や個人とのかかわりが必要かを自分なりにいろいろ葛藤しながら考えてきた中で、僕自身も含め、自分らしい人生を送りたい、送れるような世の中にしたいと心から思うようになりました。
そして、改めて思うことは、人間同士は差もあるし、それぞれが別の存在なのだから、差別はあって当たり前。
大事なことは、 差 を認め、別 の人格だと認め合うこと。互いの存在価値を尊重し合うことですね。
それこそが、現実に起きている一般的な差別を無くすことにつながるのではないかと思います。
人は、皆違うし、違っていい。
誰しもに幸せに生きる権利があるはず。
どんな世代も、どこの人たちも、根本的にこんな思いが持てたら、もっと生きやすい、そして互いに思いやる優しさに満ちた世の中になるのではないかと思います。
差別を認めることが、差別を無くす
僕もこれが実現できるように、自分のできることから行動に移していきます❗
そして、偶然ですが、大切な気づきを与えてくれた学生に感謝しています。
ネガティブな言葉からもポジティブな学びがある、貴重な経験をさせてもらいました。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?