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言葉が無意識を意識化する

「あれ?僕ってこんな風に思ってたんだ・・・」

何かを語るとき、想いを書こうとするとき、他者に答えを求められたとき、
言葉にしてはじめて、自分の真の想いに気づいたことはないでしょうか。

僕は、ビジネスパーソンとして働く傍ら、キャリアコンサルタントとして、
特に部下や後輩のキャリアカウンセリングをしてきたのですが、
やはり、同じ光景をよく目の当たりにします。

キャリアカウンセリングとは、シンプルに言うと、
問いを投げかけることで、相手が問いへの想いを巡らせ、想いを言葉にする支援をすることです。
そして相手であるクライアントは、その言葉を発して初めて、
自分の真意に気がつくことがほとんどでした。

「今日のカウンセリングを通じて、初めて自分自身の想いがわかりました」

そのような言葉をもらえたとき、私は最上の喜びを感じ、
本当に良かったと自分の気持ちが高揚します。

今もこの文章を書いている最中にも、「僕はカウンセリングが相手にとって意味があると思えると、『喜び』を感じるだけでなく、気持ちが『高揚』するんだ!」とまた新たな自分を知ることができています。

このような経験をするたびに、キャリアコンサルタント養成のために
通学して教わっていた恩師の先生が仰られていた言葉を思い出します。

「言葉にすることで、人は無意識を意識下することができる」

感情とは人の内面にあるものなのに、言葉として外界に現れて
やっと内面にある真の感情といえるものに出会えるという不思議。

それはまるで、水分を含んだスポンジを絞った後に、
改めてスポンジがその水分を吸収する事象にも似ていますが、
その水は外界に触れることで不純物が取り除かれて、
純水として、再び吸収される。

それは同じ水ではなくなっているということ。

僕たち人間は、感情という体内の水を体外に言葉として吐き出すことではじめて自らの真意を受け取り、真意は確信に変わり、確信は自信へと深まり、そして自信は勇気へと変貌するのかもしれません。


こんなことを考えていると、やはり人の心は興味深いです。

これからもnoteで言葉を紡ぐことで、
自分の純粋さに気づいていきたいと思います。


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