僕の自己紹介

初めての投稿、緊張しますが、あまり飾らず、自然に、素直に、書いていきたいと思っています。

そして、自分のライフテーマにあるように、キャリア=人生について思うことを中心に発信しながら、誰かの役に立てたり、勇気づけらたり、何か新たな気づきや学びに繋がっていけばうれしいですし、僕もこの場からたくさんのことを吸収していきたいと思っています。

★まずは、自己紹介です!

僕は、1977年に埼玉県で生まれました。父親が日本の商社に勤めていて、国内転勤が多く、埼玉、香川、大阪、神奈川 と学生時代は本当にいろいろなところに転勤してきたので、正直、ふるさと というものが心の中にありません。転勤が多かったので、小さいころから続いている、親友 と呼べる人もいません。それに、加えて、一人っ子 という要素も加わり、小さいころから大学生までは、いつも「独り」でした。友人はいましたが、親友と呼べる友達はいなかった。それは、自分があまり他人に心を開いていなかった、表面的な人間だったからだと今は思います。

バスケ部に入ったり、部活動もしましたが、少し挫折するとすぐにあきらめてしまう心根の弱い人間でもありました。勉強にしても、部活にしても、周囲の先生や友人はいつも僕に期待をかけてくれていたのに、それに応えるエネルギーもない状態でした。適当に生きる方がかっこいいと勘違いしていた節もあります。いつも「副部長」とか期待されている役割の一歩手前で自らの意志で止まってしまう、勉強も全力で勉強をしていると言い聞かせて自分をごまかしながら、適度に努力した(努力といえない・・・)結果、志望校には到達せず。全力で何かに打ち込んだという経験が何ひとつない時代でした。

★そして、パニック障害 を発症・・・

当時はまだ日本にパニック障害という病気がなかった時代です。原因は不明ですが、思い当たることは家庭環境にあります。僕の家庭は、いたって普通の家庭でした。お金に困ることもそれほどなく、いつも両親も僕を一生懸命愛していてくれていたと思います。でも、父親があるとき、仕事と生活の憂き目に会い、僕たち家族の運命は一転して、闇に向かっていきました。幸い、母親の兄弟の会社に引き取っていただけたのですが、そんな状況で受け入れてもらったにもかかわらず、人間はわがままですね、それが当たり前になると、いろいろと人間関係や感情の問題で家庭ではいつも愚痴が蔓延しはじめる。僕は兄弟がいないし、親に心配させてはいけないと思う気持ちがあって、いつも独りでいろいろと感じていることを抱えて生きていて、誰にも話せず、その葛藤と鬱憤が一気に身体を襲い、過呼吸にもなるし、身体中に蕁麻疹が出る、病院にいってもよくわからない、原因不明の症状がずっと続きました。

大学生になっても原因がわからず、当時心療内科なんていうものは巷にない時代なので、結局、大学時代は不健康状態で何にもチャレンジする気持ちが芽生えず、平凡以下の学生生活を終えることになりました。

運命が変わり始めたのは社会人になってから。卒業して、入社した企業でたまたまパソコンで検索していたら、パニック障害 という単語を見つけ、「これだ!」と思って検索したら、たまたま会社の裏側に心療内科ができていて、そこに駆け込むように入りました。

そして、「パニック障害ですね」と先生に言われたとき、高校生からそれまで原因不明でモヤモヤしていた気持ちが、スーっと晴れました。曇り空から陽光が差す、あんな感じです。闇から光へ、一歩動いた瞬間でした。薬の副作用で体重が急増したり、いろいろとありましたが、そこからは薬を飲めば仕事はしっかりとできるようになり、こうして今幸せに仕事ができています。

ここから先も、親の勤務先の倒産、実家の住宅ローンの支払い、離婚・再婚、新たな病気の発病、仕事の憂き目にあう、家族関係の悪化など、僕にとっては様々な苦労が山のように押し寄せてきますが、今思うと、そのすべてが今の幸せな自分を創ってくれた、かけがえのない財産、自分を成長させてくれる糧であったと感じています。

ここからは僕の人生を闇から光に変えてくださった様々な人たちとの出会い、自分自身の行動変容、そこから学んだことなど、主にキャリア=人生について、書いていきたいと思っています。

もちろん、日記のように日々起きたことや考えていることも発信していきたいと思います。

読んでくださった方、本当にありがとうございます。

これからも発信していきたいと思いますので、よろしくお願いします!

気軽にコメントもぜひください!

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