自分を研ぎ澄ますことで見えた、資本主義と時間の価値への問い


私が取り組んでいる香り×ヘルスケアの新しいアプローチの商材づくりは、

もともと依存に取り組むことがきっかけで始まりました。

依存とは、ある一定の行為を繰り返す習慣も含まれるため、生活習慣に着目していると言っても良いでしょう。

しかし、もともと、一般的なビジネスやベンチャーの方法論がどうもピンとこなかったので、なぜだろう?と思っていたのですが、

そもそも私がしたかったのは、社会の課題解決で、新しい方法論や概念の提案であったことが大きいとしばらくして気が付きました。

商品開発をするうえでは、最初の商品なので、特に人のインスピレーションを元にして開発したものが、どのくらいの数字になって反映されるだろう?という問いに従い、もっぱらインスピレーションを重視したディシジョンメイキングを行いました。

インスピレーションを最重要とするうえで大切だったことは、自分を研ぎ澄ます、という何とも言葉に落としにくいことでした。

開発期間中、日々、もの、音、視覚に入る情報量、人付き合いにおいてまで、とにかくノイズを徹底的に排除し、瞬間の自分の感じ方に集中しました。

自然に触れる時間を意識的に増やして、ウォーキングを毎日1時間は行い、食事はほぼ自炊、無理をしない、最終手段として以外は根性は出さない、等の決まりを決めて、インスピレーションを研ぎ澄ましましたが、とにかく一番大事にしていたのは、快適で気持ちが良いかどうか、という感覚でした。

このような生活を送ると本質と向き合いやすくなるのですが、

その中で、資本主義の仕組みがいよいよ破綻してきているのではないか?と感じるひずみ、(ママの時短テクが必要なこと、生きる上で必要な家事がビジネスになる事態、等)が見えてきました。

その中で思ったことは、時間の価値がかつてないほど高く扱われていること。

そして、時間にそもそもそんなに価値があったのか、ということ。

時間という概念の価値そのものに対する問いでした。

このような生活を送っていると、今の資本主義のシステム下では、時間はある意味、時限爆弾のような存在である、と感じました。

しかしながら、自分を軸に据え直すと、全く意味が変わり、いかようにもストレッチするような感覚を覚えた時もあります。

もしかすると、子供の頃に時間が無限である、と感じたあの感覚に近しいかもしれません。

時間の価値に対して改めて問いを立て、様々な考察を得たい、そう感じています。


香りで健康に、香りで日常の一瞬をより豊かに 

キンセンス 


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