記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

いなか、の、すとーかー(綿谷りさ)の感想

人とのコミュニケーションについて、よく書かれている本だと思います・・・。

会社や学校の友達をはじめとして、家族など、長い付き合いのある人相手でも、思わぬ一面を目撃することは時々あります。もちろん、大半の場合は、そんなときであっても、相手の意外な一面を素直に受け入れることができる場合が多いと思います。

ただし、二人の関係性によっては、それも難しい場合も、もちろんありますよね。

今回ご紹介する、「いなか、の、すとーかー(綿谷りさ)」の話は、そんな受け入れが上手くいかなかったパターンの話です。

以下、ネタバレを気にせず感想や思ったことを書きますので、ネタバレが気にならない方のみ、読み進めていただけますと幸いです。

あらすじ

若くして陶芸の道で頭角を現しつつある石居 透(主人公)が、二人のストーカーに悩まされる話です。

ストーカーの一人は、彼が美大に通っていた頃に、おそらく彼に一目惚れしたであろう中年の女性、砂原美塑乃(みその)。引っ込み思案で、人とのコミュニケーションが大の苦手で、思い込みが激しい女性です。透の言葉を借りるなら、「挙動不審と時代遅れの分厚い眼鏡が、彼女の生きにくさを表していた。」ような方。

もう一人のストーカーは、透に思いを寄せる、年下の幼馴染みである果穂。普段は優しく可愛い幼馴染みである彼女ですが、透に対しては一方的な思い込みもかなり持っており、彼女が悪質なストーカーだと判明する中盤以降は、登場シーンすべてに緊張感が走ります。

二人のストーカー、特に可愛い幼馴染みだと思っていた果穂が悪質なストーカーであることに透は苦しめられますが、彼のもう一人の幼馴染みである、すうすけ(ニート生活をしている)に力を貸してもらいつつ、最後はストーカー二人と向かい合い、彼女らを受け入れます。

彼自身の仕事や運命に対する考え方も冒頭から変わっていき、最後は大団円とまではいかないまでも、切なさを残しつつ、優しい未来を感じさせながら、この物語は幕を閉じます。

自分勝手なキャラクター作り

まず、透という主人公についてですが、才能があり、性格も良い人間だと思います。私も彼と同性、同年代(アラサー)ということもあり、かなり透とは同じ視点に立って物語を読み進めることが出来ました。彼は、周りの人間も、仕事のことも大切にしており、少なくとも私の感性だと、いいやつだと思いました。ストーカーに悩むところも人間くさく、好きです。

でも、こんな透も周りの人からはいろいろな見られ方をしています。彼の呼ばれ方を見ただけでも、「先生」(冒頭のテレビクルー)、「透」(透の母)、「お前」(すうすけ)、「お兄ちゃん」(果穂)など沢山あります。(おそらく、著者もあえて、沢山の呼称を使っているのだと思います。)

つまり、透の周りの人は、自分の目や頭、心を通したフィルターで透を映し出し、そこで映し出されたキャラクターである透とコミュニケーションを取っているのではないかと思います。

しかし、これって、私たち自身の普段の生活を考えても、結構普通のコミュニケーションですよね。私たちも人とコミュニケーションを取るときは、本当のその人自身ではなくて、自分のフィルターを通して映し出されたその人と、会話などを交わしていることがほとんどだと思います。

そうやって自分勝手に作り出した相手のキャラクターであるからこそ、そのキャラクターと、本当のその人自身と齟齬が出ることはよくあることです。

そうは言っても、私たちが作り上げるキャラクターは、その人自身の本当の姿を感じ取りながら作り上げる場合が多いと思うので、若干の違いがあってもほとんど気になりません。

しかし、もちろんそんなケースばかりではありません。恋人同士など、相手に求める姿にかなり執着している場合などは、イメージのキャラクターと本当の姿の違いを、認めることができなくなる時が多いと思います。

果穂と砂原のストーカー二人は、もちろん普通ではないケースです。

画像2

二人のストーカー(砂原編)

まずは、砂原に着目していきたいと思います。
砂原は、人とコミュニケーションを取るとき、頭の中でその人のキャラクターが出来上がったら、そのキャラクターを盲目的に信じる女性であるように見えます。

実際、砂原が思う透のイメージ像は、全くもって意味不明であり、本来の透の姿とはかけ離れています。

しかし、彼女は(分厚い眼鏡のせいか)透の本来の姿には全く気付きません。むしろ、本当の彼自身には近寄づくことすらしていません。

だからこそ、実際にはありもしない透からのメッセージを自分勝手に受け取り、透自身とのコミュニケーションが上手くいっていないように見えます。

砂原のほかの人とはちょっと違うところを挙げるとすると、次の2点になると思います。

1 イメージで作り上げるキャラクターが、現実の本人とあまりにもかけ離れすぎている。
2 本人とイメージのキャラクターが異なっていたとしても、当初作り上げたキャラクター像を変えようとしない。

特に2は苦しいです。本人の声が砂原に届かないので、砂原からの一方的なコミュニケーションになります。物語では、それが結局ストーカーのような形となってしまいました。

画像3

二人のストーカー(果穂編)

一方の果穂は、自分の思い描く透(お兄ちゃんと彼女は呼んでいる)と、現実の透の違いに敏感に気付いています。というより、敏感に気付きすぎてしまいます。

果穂は、イメージの透(果穂が透に片思いしていることを鑑みるに、「理想のお兄ちゃん」と言った方が良いかもしれません)と、現実の透の僅かな違いが許せません。

果穂のイメージする理想の透の姿は、作中に何回も透のメタファーとして登場する「ペンギン」なのでしょう。

果穂の部屋にあるペンギンの人形が、最初はしゃんと立っていたのに、彼女がストーカーだと透にばれた後は、死んだように横になっているのも、彼女の理想のお兄ちゃん像が死にかけている比喩のような気がします。

では、ペンギンとは一体何を表しているのか・・・という話になりますが、私には正直わかりませんでした。

文庫版の94ページにて、果穂が自分の見た夢の話をしています。夢の中に出てきた透が「大人のペンギンは飛べないんだよ」を果穂に話をして、目が覚めたとのことですが、よくわかりません。

私なりの解釈を申し上げると、果穂は透に対して、「ずっと自分と同じ村で仲良くのんびり暮らしていてほしいし、それがお兄ちゃんのあるべき姿。」と思っていたのではないでしょうか。

そう思うのも、一つはやはりペンギンが飛べない鳥であることが挙げられます。

作中の描写を見る限り、果穂は、透にはどこにも飛んでいかずに、自分と一緒に暮らしてほしいと思っているはずです。
しかし、実際の透は、学生時代に上京してしまいます。その後村に帰ってきたと思ったら、テレビの取材やらCM出演やらで、むしろ飛ぶ鳥落とす勢いで浮かれています。

果穂としては面白くないと思います。学生時代に透と離ればなれになってしまい、とても苦しかったのに、また、どこかに飛んでいこうとしている。理想とは異なったことばかりする透に対して、殺意を覚えるのもわからなくはないです。

果穂の透に対する愛情は本物であるからこそ、理想と現実の差異が許せなかったというのも十分理解は出来ます。

画像3

透の鈍感さ

一方の透についてです。

透は元付き合っていた女性や、果穂から「人の気持ちに鈍感である」と言われています。

ここまでの話で私の考えを述べると、つまり透は「他人が自分に対してどのようなキャラクター(イメージ像)を作り上げているか無頓着すぎた」ということだと思います。

要するに、自分が会う人は、みんな自分のことをある程度理解してくれるだろうという過信があったように思えます。

だからこそ、砂原や果穂のように、歪なフィルターを通して自分を見つめてくる人の気持ちがわからなかったのではないでしょうか。そして、理解できない二人から逃げ続ける形になってしまったようにも思えます。
※むろん、砂原と果穂も歪なフィルターを通じて透の声を聞いているので、二人の方も彼の気持ちがわかっているとは思えません。

もっとも、透自身も、果穂のことを、「故郷で自分を待ってくれていた、自分のことを好いてくれている幼馴染み」と自分に都合の良いフィルターを掛けて解釈していました。

だからこそ、悪質なストーカー行為を働く果穂を見た後、思い描いていた果穂とのあまりの違いに苦悩することになります。

画像4

透の気持ちの変化

最終的に、果穂と透は、互いの気持ちを通じ合わせることが出来ず、泣き出してしまいます。その後、透は窯から非常によく焼き上がったマグカップと皿を取り出し、砂原と果穂の二人にそれぞれ渡します。その二つの作品は、今まで透が作ってきた陶器の中でも最高傑作です。

この儀式のような行いを通じて、透はある決意のようなものを固めます。芸術家として、これからもあらゆることを発信していく以上、それに対するどのような反応にも向き合うことを決心します。

二人のストーカーからも逃げ続けたり、排除したりすることをやめて、理解しようとします。

今までは、自分の理解できる反応や都合の良い反応だけを受け止め、理解の出来ないものからは逃げていましたが、今後はすべてに向き合って作品を作っていこうとします。

これは物語を序盤から終盤前までの透の姿とは大きく違うように見受けられます。

これまで、透はストーカーのように理解不能な都合の悪いものからは逃げ続け、逆にテレビ取材のような都合の良いチャンスには自ら手を伸ばして掴んでいました。そうすることで良い作品が出来ると透は思っていたのでしたが、本当はそうではなかったことに気付きます。

本当は理解できないも含めて、自分はいろいろな応援を受け、そのすべてが自分の栄養になって作品が生まれてくるのだと気付きます。

このあたりの描写が、窯と対になって書かれていて、私はとても好きです。あらゆるものを包み込み、時間をかけて焼き上げる。窯焼きも前述の透の決心の内容も、やっていることはお互い同じことのように見えます。

これについて、透は、「火の神様の圧倒的なきまぐれ、やさしい奇跡。決して手綱を握れない芸術だからこそ、おもしろいし、一生を賭けて頑張れる(135ページ)」と言っています。そして、取捨選択ではなく、「根こそぎ拾っていくしかない」と改めて語っています。

画像5

(参考)すうすけについて

主要登場人物ですので、一応すうすけにも触れておきます。

彼は果穂に比べてとてもわかりやすい人物だと思います。作中でもはっきり「底が浅い」と描写されています。

果穂のように、みんなには見せない心の部分が深いところにあると、本来の彼女の姿が見えにくくなり、透のように、彼女のイメージ像が上手くつかめなくなってしまいます。

一方、すうすけは底が浅いので、普通は人に見せないような残忍な部分が、あっさり浮き出てきます。

そのため、「俺がストーカーされたら、そいつを殺す」だの「とりあえず果穂と一発ヤッちゃえよ」だの、ひどい発言もぽんぽん飛び出してきます。

もっとも、こういうわかりやすい男だからこそ、作中でも透は全幅の信頼を寄せられたのではないでしょうか。

画像6

まとめ

本作の二人のストーカーほどではないにしろ、自分のことが上手く相手に伝わらないときは、よくあります。

そんなときは、相手に「なんで理解してくれないんだ」と怒るよりも、相手が抱いている自分のイメージ(キャラクター)もそのまま引き受けることが、ときとして解決に導いてくれるのかもしれませんね。

(もちろん、そこには相手に対する最低限の信頼関係があってのものですので、現実問題として、本当にストーカー被害に悩まれている方は「ストーカーにも向き合う」等と考えず、すぐに警察などしかるべきところに相談するべきでしょう。)


さて、今回ご紹介した「いなか、の、すとーかー」ですが、講談社文庫より発行されている「ウォーク・イン・クローゼット」に収録されている2編のうちの1編です。

もう1編の、「ウォーク・イン・クローゼット」もここではご紹介しませんが、面白いのでぜひ読んでみてください。

画像7

皆さんの感想もぜひ聞きたいです。特に、物語中のペンギンとは一体何だったのか、皆さんのお考えも教えてくれると非常に嬉しいです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


画像8

※ 最近うちで飼い始めたペンギン↓↓

ぽっちゃま



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?