子どもを連れて、選挙へ行く。

「ここで何をするの?」
車を停めると、娘が不審そうに訪ねた。

「選挙の、投票をしてくるんだよ」
ぼくと妻は4歳の娘に、そのまま答えた。

朝の10時。人もまばらな会場に入ると受付を通って、投票用紙に記入する。
「パパ、何書いてるの?」
さして興味もなさそうに、娘はぼくを見上げた。
「応援したい人の名前を書いて、あそこの箱に入れるんだよ」
「ふーん」

投票はものの数分。
ぼくの足元でうろうろしていた娘は、先に投票を終えた妻のもとへと走っていった。
ぼくも記入を終え、スタッフに会釈をしながら会場をあとにする。

***

まだ4歳の娘には、「選挙」がなんなのか、「投票」がなんなのかよくわかってはいない。それでも娘が生まれてからずっと、選挙には娘を連れて一緒に行っている。

それは、選挙を身近な生活の一部と感じて欲しいから。

思い返せばぼくは、子どものころ親に連れられて投票へ行ったことは一度もなかった。だからはじめて投票権を得た年、会場がどういうところで、どういう風に投票をするのかも全く見たことがなかったのだ。

知らないところへ足を運ぶのは結構しんどい。
20歳そこそこのぼくは、当時政治への興味関心はまったくなくて、選挙をただの面倒事だと思っていた。

最初の頃こそ、投票権を得た特権のような感じで、会場へと足を運んでいたが仕事が忙しくなってくるとガクンと優先順位は落ちていった。

ぼくにとっては選挙も、投票も、身近な世界ではなく、よくわからない遠い世界の話だった。
家では選挙の話はタブーだったし、「誰に投票をしたのかなんて、人に言うもんじゃない」「政治の話なんて他人とするもんじゃない」という大人の話タブーの家庭環境だったため、いつまでたっても選挙はお金持ちと権力者だけの世界だった。

しかし、NPOを起ち上げたりしながら社会と関わるようになると、政治と社会の密接なつながりを感じるようになりました。

「誰が政治家になっても、なにも変わらない」
と言うのは、実際には「変わらない」のではなく「(自分は社会や政治を知らないから)その変化には気づけない」といっているのと同義なのだ。

社会の変化に気づくことができなければ、そりゃあ、なにも変わらないと思ってしまうのも無理はない。だけど実際には変わっていくのだ。

20代後半から30代にかけて。ぼくは少しずつ政治を、選挙を、投票を身近なものにしていった。

***

まだなにもわからない4歳の娘。
それでも、パパとママと一緒に、ときどき”せんきょ”とやらに行っていること。どうやら自分も大きくなったらこの”とうひょう”とやらをすることになるらしいこと、を知っておいてほしいのです。

投票に行くことは、特別なことではなく、この国に産まれて生きていく上での当たり前の生活の一部なのだから。


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今日も、見に来てくれてありがとうございます。
これからも選挙のたびに、娘を引き連れて投票へいこうと思っています。
ぜひ、明日もまた見に来てください。



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