見出し画像

文章を通しての内省

以前、内省としての文章として「言葉」はコミュニケーションのツールとして発展しただけでなく、内省のために発展したと言う説があると書きました。

つまり対人コミュニケーションが苦手でも、内省する力の優れている人は言葉との付き合い方が上手なように思うのです。

文章を書くことも、人に伝えると言う側面と、自分の考えを内省していくと言う側面があるように思います。
文章にするためには何となく思っているだけではだめで、それを整理してあいまいな部分を磨いて形にしていかなくてはいけない。
そうすることで、自分が考えていることが深まったり、人に伝えられるようになったりする。

「毎日発信したいことがあるから、毎日更新にチャレンジする」という人はわりと稀なんじゃないでしょうか。
毎日更新を続けている人の記事を読むとたいてい「ネタ切れ」に襲われるし、「発信し続けることが苦しくなる」経験をしているようです。

でもそれを言葉にして、「ネタ切れたなー。どうするかなー」と考えていることを記事にしてしまうことで自分がネタ切れという現象にどう向かっていくのか、どう感じているのかが内省されている。

しゃべり続けることで、書き続けることで磨かれていくのは、しゃべることや書くことだけではなく「思考」そのものなんじゃないかと思うのです。

読む人にとって価値のあるコンテンツを意識する記事もあれば、今日のようにただ頭の中の思考を内省しているだけの記事があってもいいんじゃないかと思っているわけです。



【30日チャレンジDay2】

この記事が参加している募集

最後まで読んで下さり、ありがとうございました! スキ・フォロー・シェアなどしてもらえたらとっても嬉しいです。 ぜひまた見に来てください!!