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なぜ青年海外協力隊に参加したのか

2018年7月から2020年6月まで、青年海外協力隊(JICA協力隊)のコミュニティ開発という職種で、ラオスに派遣されていた。

青年海外協力隊に参加するというのは、2017年の春募集(4月~5月)で応募し、その年の8月に合格発表、いくつかの研修を経て2018年7月に任地に赴任という応募から派遣まで1年以上、そして、任地での2年間を合わせて、協力隊生活全体で考えると3年以上という長期間のボランティア活動となる。

なので、転職とも違い、ボランティア3年以上となると、場合によっては、社会人から応募するとキャリアのブランクと、とらえられる可能性もある。そんなリスクがあることを理解しながら、なぜ、私は青年海外協力隊に参加したいと思ったのだろうか。


現在、2022年秋募集の受付中ということもあるので、あらためて自分がどう考えていたのか、思い返してみた。

青年海外協力隊に応募する前は、重電機器メーカーの東南アジア担当の営業職をしていた。入社3年目になるあたりで、もちろんわからないことも、たくさんあったのだが、一通りの仕事を覚えたうえで、上司の姿を見ていると、将来的に「どのような働き方になるのか」「どのようなスキルを強みとしてキャリアを築くのか」というところが見えてくるようになってきた。
そこそこの企業だったので、それなりに給料がもらえ、おそらく業界的にも比較的に安定。悪い環境かと言えば、そんなに悪くはない。

一方で、その将来像は、自分にとって理想的なのか、と考えはじめたが、正直なところ、その将来像が、自分の理想にはなかった。
とはいえ、何がやりたいのかはっきりしていない中でも、理想を求めて転職活動を始めたが、いまいち理想の業界や業種に出逢えなかった。
今考えるとほんとに失礼なのだが「一次面接⇒ 検討⇒ 断る」といったことを繰り返していた。

そんな時、以前「点と点がつながる」という記事に書いたように、2016年のゴールデンウイークに、タイとラオスに旅行にいき、青年海外協力隊の方々と出会い「青年海外協力隊」というボランティアを思い出した。
ただ、当時は「キャリアの中断」というイメージもあり、帰国してすぐには、あまり現実的な選択肢として考えてはいなかった。

帰国してからも、転職活動は続けていたが、先ほどのように、なかなか転職活動で、理想の業界や業種に会うことができず、転職活動を一時休止した。

それと同時に、自分が何に喜びを感じるのかという価値観と、今の現状やこれまでの経験を照らし合わせて考えるようになった。

元々、海外を舞台に影響力のあることをしたいと漠然と考え、いま考えると安易だが、海外 x インフラということで、重電機器メーカーの東南アジア営業というところに心惹かれて入社した。

東南アジアの特にインドネシアのお客さん対応が多かったが、主に現地会社の華僑の裕福な層と商談をすることが多く、お客さんに入札待ちのプチ監禁をされたり、個室に呼び出され仕様を詰められたりされながら、誰の喜びのために働いているのか全く見えてこなかった。あくまで「企業」対「企業」の関係。そこには「個」の要素をなかなか取り入れられない。

それに対して、長期休みで海外旅行に行くと「個」と「個」の関係を築くことができた。旅行では、ありのままの現地の光景が広がり、現地の方々と等身大で交流をする。タイに旅行に行った時も、「企業」としてではなく、「個」として、現地のエンジニアリング代理店の方々に声をかけ、交流を深めた。会社の仕事では、「企業」対「企業」。しかし、私の価値観の中には「個」対「個」の関係性のなかで、お互いの喜びを生みたい、という価値観があった。そこに、現状と理想のギャップがあったのかもしれない。

そして、そんな中「青年海外協力隊」という選択肢が見えた。

現場に入り、地に足つけて、現地の個人個人と向き合って活動をし、目の前の人たちの喜びのために働く。

これが、私の価値観と青年海外協力隊の活動が重なった点である。


まだまだ、同じ会社で長く働くことによるメリットが大きい日本社会で、
自分の価値観に正直になって、挑戦をするのは難しい世の中かもしれない。

それでも、青年海外協力隊に参加したことで、ラオスの方々との出会いをきっかけに、「siimee」というブランドを立ち上げ、さらなる挑戦をすることができている。

☆点と点の記事について

☆2022年秋募集について

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