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人生は選択と偶然の点と点が繋がって作られている

スティーブジョブズの名スピーチの中で「点と点をつなげる」という話がある。自分の人生を振り返ると、まさに選択と偶然の点と点がつながって形づくられている。


小学校3年生くらいだったか、突然、自宅に英語塾の営業がやってきた。
母は、その営業にしっかりと営業をされ、なぜかわからないが、即決で私を英語塾に入塾させることを決めた。

それが、私の人生の始まりの「点」だったかもしれない。

英語塾に入塾して以来、外国に興味を持ち始め、外国との接点は、私の中学・高校・大学時代において、必要不可欠な要素となっている。

大学の就活では、内定をもらった2社で迷ったが、大学卒業後、重電機器メーカーの東南アジア担当の営業職となった。大学までは、どちらかというと欧州に関心が強かったが、東南アジア担当になったことで、アジアの魅力に取りつかれ、長期休みにはアジアの旅に行くようになっていた。

一方で、3年目あたりの仕事に慣れてきたころに「自分が本当にやりたいことは何なんだろう?」という疑問を持つようになった。
当時の仕事は、給料も高いし、ある程度安定した業界で、近い将来に海外駐在も経験できる。しっかりと安定したキャリアを描くことができる。それでも「これで良いのか」という疑問を持ち始め、転職を考えるようになった。

そんなことを考え始めた社会人3年目のゴールデンウイークに、なんとなくタイとラオスの旅に行くことにした。
旅をしているとき、日本人を見かけると声かけてコミュニケーションをとるのが好きなのだが、ラオスの首都ビエンチャンの宿泊していたゲストハウスに日本人が居たので、声をかけた。

すると、声をかけた日本人は、現役のJICA青年海外協力隊の方で、首都に集まった協力隊員の何人かで、ごはんを食べる予定とのことで、ごはんに誘ってくれた。

どんな相談をしたかを忘れたが、仕事の悩みや転職の話をした記憶があり、「協力隊どう?」と言ってくれたのを覚えている。
正直、その時は「へー、青年海外協力隊ね」くらい軽く受け止め、真剣に考えていなかった。

日本に帰ってきて転職活動をしていた時、「青年海外協力隊ってどこかで聞いたような」と考えていたら、ある思い出がフラッシュ・バックしてきた。

高校時代、高校の授業の一環で、JICA中国を訪問したことがあったのだ。
しかも、その時英語が得意で国際協力にも関心がある生徒だったので、代表でお礼の挨拶もしている。

そんな中、さらなる偶然が起きた。
会社の動機が青年海外協力隊に参加するために、会社を退職したのである。

これまで頭の隅にもなかった「青年海外協力隊」という選択が、
どんどん身近になっていくような感覚がした。

そして、ラオスの旅から帰ってきて約1年後の募集で、青年海外協力隊に応募してみることにした。色々調べてみた中で、最も関心が持てたのが、「コミュニティ開発」という職種で、しかもラオスの案件が一番、当時の営業の仕事を活かせる案件だと考えたため、ラオス希望で応募した。

応募書類には第3希望まで案件を記載できるが、事前情報だと希望した国の案件に合格することは珍しいらしい。
しかし、結果、ラオスのコミュニティ開発職種で合格することができた。
何の導きか、あの協力隊と出会ったラオスに決まったのだ。

「運命だ!」

と確信した。正直なところ合格してからも、優良企業を辞めることに何か月か迷い続けたが、この運命を信じて協力隊に行くことを決心した。


このように、これまでの人生を振り返ると、
いくつもの選択と偶然の点と点がつながっている。

  • 小学生で英語を習い始めたこと

  • 高校生でJICA中国の訪問をしたこと

  • 新卒で東南アジア担当の営業となったこと

  • ラオスへ旅をして協力隊員と出会ったこと

一つの点でも欠けていたら、青年海外協力隊に参加することはなかった。
そして、これらの点は、その後もつながり続けている。

  • ラオスのビジネスパートナーとビジネスを始めたこと

  • 協力隊で出会った妻と結婚したこと

一つ一つの選択や偶然によって生まれる「点」が自分の人生を繋げていて、これからも点と点が繋がっていくんだろうと思う。
けれども、考えてみると、それら一つ一つの点は、挑戦や思い切った決断の結果でもあるのだ。

何もしなければ「点」は生まれないし、繋がっていかない。
だから、これからも挑戦や思い切った決断をしていきたいと思う。












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