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自分で解決できる事柄だけならそれも幸せかもしれない

前に、助けてくれる家族がいる人が羨ましいというような記事を書いたことがある。
今でも羨ましい気持ちは変わらないが、最近、考え方が変わってきたので、記事にしたいと思う。


まだ読まれていない方は、先にこちらからどうぞ。

以前はただただ嘆いていた。
私も誰かを無条件で頼りたいと。



つらいことや大変なことはいつも1人で乗り越えてきた。
誰にも頼らなかったとは言わないが、無条件で助けてくれる人などいなかった。



基本的には私の我慢で解決することが多かったが、どうしても人の助けが必要なときは、その分人を助けるかコストをかけるか。


得るためには同等の何かが必要だった。
そうやって超えてきた壁は、決して楽なものばかりでは無かったが、何とかなってきたのは事実だ。


人は、見える範囲のものしか認識できないと思う。
見える範囲のもので、楽だとか大変だとかを判断するわけだが、私のような狭い世界で生きている人にとって、認識できていた問題はとても少ないだろう。


だから、思い至らなかった。
とても1人では解決できない事態が、世の中にはあるということを。


「誰の助けも借りられないのは、助けを借りなくても解決できる事柄だから」


気持ちが変化するきっかけとなった言葉だ。
この言葉を聞いて、ハッとした。
確かに私は常に1人で頑張ってきたが、ぎりぎりなんとかなるものばかりだったように思う。


助けを得られないことを嘆くより、今すべきことは、助けが必要なほどの大惨事に見舞われなくて幸運だったと感謝することなのでは?


スピリチュアル系の話を聞くと、よく、死後の世界は何でも思い通りになるから、感謝を忘れてしまうと聞く。
感謝する心を取り戻すためにこの世に生まれて苦労するのだとも。


悲惨な事態に陥らないと感謝の心を思い出せないのであれば、悲惨な事態を経験しなければならない。



私は痛いのも苦しいのも好きではないから、最悪な状況になる前にこのことに気がつくよう、ちょこちょことぎりぎりの苦行を強いられてきたのかもしれない。


話は変わるが、今日、娘を叱らなければいけないことがあった。
人は、自分で決めた課題をこなすためにこの世に生まれるという。
叱ったことがきっかけで、娘がこの世の課題に設定した学びは、一体何なのだろうと考えた。


それは、今はできないこと。
とても苦手だと感じること。
学び終わるまで、何度も何度も経験させられること。


そのときに浮かんだことが私にも当てはまるような気がしたので、ここに記録しておこうと思う。


それは、


今ある環境がとても恵まれていると気付くこと。
欲は限りなく、もっともっとと求めてしまうけれど、今恵まれているから、欲に向ける余裕があるということに気付くこと。
そして、恵まれていることに感謝すること。


視点が変われば、見え方が変わる。
私の視点からでは一生気が付かなかったかもしれない。
娘の視点に立ったことで気付けたことだ。



私の視野は狭い。
まだまだ気が付かないことのほうが多いと思う。
しかし、このことを再確認できたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。


娘の問題はまだまだ解決しそうにない。
自分でさえ気が付かなかったのに、まだ子どもの娘がそのことに気が付くのは難しいだろう。
でも、せっかくの気付きなので、明日また、娘と話してみようと思う。


些細な問題から厄介な問題まで、毎日のようにトラブルは起きる。

でもまだ1人で解決できる。

助けてもらいたいという欲はそっと奥にしまって、今は、解決できる問題だけなのを感謝しようと思う。



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