溢れる多幸感と主演女優の自己プロデュース力|『恋するプリテンダー』
多幸感
数年に一度、こんな多幸感に溢れたラブコメがやってくる。
前回は『クレイジー・リッチ!』だった。「メインキャスト全員アジア系」のラブコメという社会的な側面もありながらも、中身は親友の結婚式を舞台に繰り広げられる、庶民/富裕層、アメリカ/アジアのカルチャーギャップをコミカルに描いた良作だ。結婚式のシーンはじんと感動したりもする。
一方で『恋するプリテンダー』は、そんな社会的な側面さえも持たず(これはいい意味で)、比較的裕福な白人同士のカップルがオーストラリアで共通の結婚式に参加する、というプロットこそ似てはすれ、「ポリコレ」的な目配せを度外視した、振り切った良作なのである。
「ジャンル映画の皮をかぶった社会派映画」という構図はここ数年何度も繰り返されてきたが、久々にそんなある種の「義務感」から解き放たれた、爽快さが嬉しい(ポリコレや社会派が悪いとは言っていない)。
ビジネス
本作は主演女優のシドニー・スウィーニーのビジネスパーソンとしての力量を目の当たりにできる作品だ。
ドラマ『ユーフォリア』の大胆なヌードで注目を集め、その後ドラマ『ホワイト・ロータス』や映画『マダム・ウェブ』に出演するなど、快進撃を続ける26歳女優、スウィーニー。アメリカに来て驚かされたのはその知名度の高さ。若者の間で知らないものはいない、新世代の憧れの的となっている(ちなみに僕が現在住んでいるワシントン州の出身だ)。
スウィーニーは実業家の婚約者とフィルムプロダクションを立て、この『恋するプリテンダー』を1作目として制作した。そして主演だけではなく製作総指揮も兼任し、SNSマーケティングの指揮もとっている。確かにスウィーニーはこの公開の時期、一般の人々の投稿を頻繁にリポストしていた。
先日のインタビューで、スウィーニーは「『マダム・ウェブ』への出演は、本作を売るための布石だった」ということを明らかにした。「『マダム・ウェブ』への出演が、SONYとの関係を作ってくれた。『マダム・ウェブ』なしではSONYの意思決定者たちとの関係を作ることはできなかった」と語る。「私のキャリアの全ては、物語のためにやっているわけではなく、全て戦略的なビジネス判断だ。『マダム・ウェブ』をやったから、『恋するプリテンダー』を売ることができた」(筆者意訳)。
アメリカの批評家サイト「Rotten Tomato」で脅威の13%を叩き出した『マダム・ウェブ』(近年のスーパーヒーロー映画では最低のスコアだ)。主演のダコタ・ジョンソンが「もう二度と関わらない」と愚痴をこぼすのに比べると、スウィーニーは『マダム・ウェブ』を少なくともキャリアの足がかりにはできたらしい。
メリハリのついたボディと露出の多さから「B級映画のおっぱい要員」と揶揄されてきたが、最近では本人もSNLなどで胸の大きさをネタにしている。製作総指揮も務めた本作でも、スウィーニーはその抜群のスタイルをこれでもかと見せつけるシーンを織り込んでいる。そんな自己プロデュース力の高さも含めて、彼女のビジネスの才覚が明らかになっている。
テイスト
そして本作は興行的成功も果たし(世界興収2億ドル突破)、Rotten Tomatoesの観客スコアも上々だ(87%)。初のプロデュース作でこの成績は文句なし、どころか彼女の影響力をさらに強化する結果だろう。
一方で批評家スコアは低い(56%)。確かに批評家ウケするような鋭いショットや、物語的な深みはない。
ただし、逆に言えば、「まずい」ショットや、センスの無さもなく、ストレスを一切感じることなく観れた。ショットや編集のクセのなさ、透明さが、物語をきちんとデリバリーし、観客を十二分に喜ばせるための適切な手法だったように思える。
言ってしまえば『クレイジー・リッチ!』のジョン・M・チュウを思い出す。監督の自我やセンスを押し付けることなく、観客と物語に忠実なデリバリー。これは映画の撮影と編集における一つのあり方だと思っている。監督名をいい意味で気にせずに見られる作品。これもまた貴重だ。ランタイムの短さもいい(103分)。
『恋するプリテンダー』はその年の年間TOP10に入ってもおかしくない良作だ。この溢れる多幸感をぜひ体感してほしい。
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