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ima訳「今昔物語」【劇場型窃盗団】巻二十九第十七 攝津国小屋寺に来て鐘を盗みし語

 今も昔も、劇場型窃盗団というものの騙しのテクニックというものは徹底していて、ある意味感心させられるものです。日常の中に非日常が差し込まれた時に生ずる心の隙間に、彼らはすいっと入ってきます。おやおや、山のお寺にも彼らは現れたようです。

 京の夕暮れは早くて長い。周りを山で囲まれている故、陽が早く山にかくれるのである。その分山際が長く照らされるので赤赤とした重みが当たり前のように空に居座る。
 山の上昇気流で生まれた雲の、既に落ちた陽の光を下から受けて反射する様子が何よりも美しく、その様子を見ながら鐘を突くのが阿呼あこの日課であった。
 しかし阿呼は今、寺の敷地を掃き清めながら昏鐘こんしょうを聴いていた。聴きながら、面白くなかった。梵鐘を突くのは、やはり自分の役目なのだと考えていた。今梵鐘をついているのは西国から来た旅の法師である。一つ突いたの鳴り止まぬ間に次が突かれる。
「宿なしの法師が来て鐘つき堂の下に泊めてくれと言うのだよ。泊まっている間は鐘も突くというから、暫く、暁鐘ぎょうしょう昏鐘こんしょうは突かなくていいぞ」
 住職からそう言われたのが三日前。これは楽でいいと喜んだはずなのだが、と赤い山際を眺める。そもそも旅路の途中であれば三日も泊まる必要はないではないか。薄く透けるような赤色だった空がみるみるくらく重くなっていく。寺をねぐらにしているからすが固まりとなって飛んでくる。昏鐘が忙しない。烏は群れて飛ぶものだったか。もっと鐘の音の余韻を引き出すようにするべきだ。せっかく集めた落ち葉が風にまかれて広がる。自分ならもっと上手に突ける。音のない間が音を際立たせるのだ。そんなことも理解わからない旅の法師になぜ突かせるのか。烏の鳴き声がうるさい。いったい何羽集まってくるのだろう。鳴き声だけでなく羽音もこの寺に相応しくない。まだ昏鐘が鳴っている。隙間のない鐘の音と烏の鳴き声が絶えず重なる。
 不意に、ぼたっと音がした。見ると、かき集めた落ち葉の山の頂点に、烏の糞が落ちていた。

 明くる日、の刻(今の午前十時頃)。阿呼は鐘つき堂へ忍び寄った。どんな法師が自分の鐘つき堂に泊まり、突いているのか、見てやろう、と思ったのである。ついでに鐘の突き方について幾つか話ができるといい。
 鐘つき堂は本堂から離れたやや小高いところにあった。寺自体が山の中腹にあるのでそこからは京の町が一望できた。その景色の美しさも、他の修行僧と煩わしいやり取りから開放されることからも、ここは阿呼のお気に入りの場所であった。
 瞬間、京の町に目を落とすとどこかでカァァカァァと烏が鳴いた。まだ飛び立っていない烏がいるらしい。阿呼は鐘つき堂の戸の前に立った。
「御坊、おいでか」
 返事がない。しかし、ことりと音がした。返事くらいしたらどうだ。筋肉が固く締まり、毛が逆立つのが自分でもわかった。ここは俺の鐘つき堂だ。俺のねぐらだ。俺の、
 阿呼は戸を開けた。開ける時、何か重たいものが引っかかるような違和感を感じたが、構わずに開けきった。
 開けた時、目に入ったのはやたら背の高い痩せた年老いた坊主の驚いたような呆けた顔である。大きく開けた口に歯は少なく、黄色い。眼はやたらこちらを見ながら舞を舞うように右手を大きく放るようにしながら左へぐるりと身体を回転させている。すぐに口が見えなくなった、と思ったら飛ぶようにしてどたりと横ざまに倒れた。倒れる時、頭だけが別の物体であるかのように大きく跳ね上がり、何とか元の位置に収まった。
「御坊?」
 何かとんでもなく大きな過ちを犯したという感覚だけが阿呼の身体を満たしていた。何だこれは? 何が起こった? 烏がガァッ!ガァッ!と濁った声で鳴いた。飛び立った羽音まではっきりと聞こえてくる。あらゆる気配に敏感になっていた。人に見られたらまずいという思いがあらゆる感覚を鋭敏にしている。その割に振り向いて周囲を確認するのが怖い。眼は倒れた老法師に釘付けになっていた。長い手足を不自然なほどにぐっと伸ばしたまま倒れている。
 どうやら自分が戸を開けようとした時、中からも開けようとしていて、こちらがあまりに勢いよく開けたものだから戸に手を引かれて倒れたらしい、と理解するまで暫くかかった。わかった後は早かった。
「御坊! 大事はござらぬか?」
 駆け寄って身を揺するが反応はない。死んだ。死んでいる。死んでしまった。
 そう認識すると触れているのも怖くなって手を離した。ゆっくりと後ずさる。怖くて眼を離せない。入り口まで戻るとうめきはしないか動き出しはしないかと暫く眺めていた。が、戸を閉じ、閉じると一気に住職へ報せに走った。

「だからあんな得体の知れないおいぼれ坊主に宿を貸したら駄目なんだよ」
「京の町はまだ咳逆がいぎゃくが広がっているまっ最中やんか。こんな時に人を入れたらあかんで」
「せやけど勝手に泊まって勝手に死ぬなんてなあ」
咳逆がいぎゃくだとしたら伝染うつるんだろう? 大丈夫なのんか?」
「離れの鐘つき堂に一人でおらはったから大丈夫ちゃうか」
「せやけど死んでいるのを見つけた僧がおるんやろ?」
「お前は『せやけど』が多いねん。見つけた僧は阿呼やん」
「あこ? ああ、普段鐘を突いているあの小坊主」
「今は別の離れで様子を見てるねんて」
「せやけど、今度の咳逆がいぎゃく※は早良さわら親王の怨念なんやろ。御霊会ごりょうえもしたのに祓えへんのかいな」
「どやろ。今年は夏に鴨川の氾濫がぎょうさんあったで、汚穢あおいが井戸水に混じって大変やあいうから、御霊会ごりょうえなんかでは落ち着かんやろ」
「坊主が言うことかよ」
「まあ、つまるところ水やん。特にしぶり腹とか疫痢えきりなんかは鴨川が氾濫した後に増えとる。川が氾濫する。汚穢あおいや糞尿が町に広がる。井戸に入る。その水を飲んだ人間が具合悪うなる。怨霊なんかよりもわかりやすい」
「せやけど咳逆は別やん。しぶり腹とは違って身体が熱くなるのに本人は寒い寒いと言うやて」
「それも怨霊のせいだけとは言えへん。だいたい本当に怨霊の仕業なら寺に入ってきた時点で祓えないのだから、我らの法力も怪しいものだよ」
「でも皆はそうは思わないやん。あちこちではけがれを持ち込まれたって話でもちきりやで」
「村でか?」
「村でもそやけど、寺でも住職たちがけがれた死体をどうするか協議してるって噂やで」
「けがれいうなら祓えばええねん」
「咳逆のけがれは特別やで。賀茂ならともかくうちみたいな小さな寺ではまともに祓えないというか、祓おうとする気概がない。何なら、お前が祓えばええやん?」
「御免やで。てか旅の坊主やん? そもそも早良さわら親王の怨念が旅の坊主を呪うかいな。どの怨霊かもわからんものを祓うのも難儀なことや」
「まあ、このまま死体を置いておくわけにもいかへんやろな。祭も近いってのに」
「せやなあ」

 祭まで十日、ならば物忌は七日とするか。ではなぜ七日なのかという日限の理由をどう工面しようか。住職の思考がそこまで進んだ時、報せが走った。三十歳くらいの男二人が「このお寺の辺りに、年老いた法師が来なかったでしょうか?」と問うて回っているらしい。
 渡りに船とはことのことである。住職はさっそく男たちに会い、老法師が亡くなったことを伝えた。男たちは泣いた。泣いて、「その老法師は、我らが父です。行方をくらましてしまい、探していたところでした」と言ってさらに泣く。鐘つき堂へ案内すると、「我が父はここにいましたか」と転がり寄って泣き叫んでしまった。
 やがて、男二人は「葬りたてまつる準備をしてきます」と言って去った。
 
「おい、今何時くらいや?」
「夜四つ(夜十時ごろ)くらいやろ」
「ありゃあ、何だい?」
「あの鐘つき堂で死んだ法師の息子とやらが来てさ、遺体を引き取る言うてたからそれやろ」
「せやけど、やたら多いやん。四、五十人はおるで」
「四、五十もおらんやろ。せいぜい十数人てとこや」
「せやけど、何か道具を背負ってるのもおったで」
「遺体は重たいやん。運ぶための箱を作ってくんやろ」
「せやけど」
「ええやん。遺体を引き取ってくれる言うんやから、放っておき」
 誰も鐘つき堂のそばへ寄る者はなかった。阿呼も穢の間、卅日(さんじゅうにち)は寄ってはいけないと言われ、鐘つき堂へ行かなかった。

 穢の三十日が過ぎて、阿呼が鐘堂の下を掃き清めようと思って来てみれば、大鐘が無くなっていた。鐘つき堂の前に立ってみると、大鐘がなくなって京の町が広々と見渡すことができた。こんなに景色が広がっていたのかと、阿呼は場違いなことを考えていた。暁鐘と昏鐘が鳴らないと時間がわからなくてみんな困るだろうなと、いらぬ心配までしていた。
「これは一体どうしたことか。」
 僧共が皆集まってきたが、後の祭りであった。老法師を葬ると言ったのは早く鐘を盗むための偽りであったのだ。後日、寺の付近の調べてみると、鐘を焼き切り砕いた跡が見つかった。

 夕方になると、鐘つき堂の周辺を掃き清めるのが阿呼の日課である。あの日から、この寺に大鐘はない。代わりに、三羽四羽、二羽三羽と飛び急ぐ烏の鳴き声、風が木々を撫ぜる音、自らが地を掃く音が間をおいて空に吸われていく。

※咳逆…せき。咳の出る病気。かぜ。
原文はこちら 巻29第17話 摂津国来小屋寺盗鐘語 第十七