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『自然』の中に、失った僕たちの生活がある。


友人と初めて泊まりのキャンプに行った。お互いにテントと寝袋を持っていないので、バンガローを予約して平日の昼間から珈琲を飲んだり、焚き火をしたりと『自然』を満喫していた。キャンプを始めたのは、大学生の時でamazonのタイムセールを狙って道具を揃えては近くの山に行き、一人でキャンプを楽しんでいた。不思議な事に、山の中に居ると息を吸う事を意識するようになった。五感が冴え渡って、手の冷えが焚き火によって温められるあの感覚はストーブと同じものでは無い気がする。

それから実家のある関東に戻ってから、何だか息苦しさを感じていて閉塞感を感じている。何処へ行くのもお金や時間が掛かり、常に空いた時間はスマホでSNSを確認したり動画を見たりと忙しない。これらの行動は本当に必要なのかとよく考えている。僕らの生活にとってこれが本当の生活なのだろうか。

キャンプに行くと全てが不便に感じる。枯葉や木を集め、ライターがあるのにファイヤースターターで火の粉を散らしては、ナイフで薪を細かくして火を大きくしていく。失敗すればやり直し。また一からやらなければいけない。家ではひねれば水や火が使えるし、娯楽や物に溢れ何一つ不便さを感じていない。

でも、生き辛い。生きている実感を、僕たちが便利さを手に入れた代わりに『本当の生活』を手放している気がする。

キャンプでは道具が多ければ多いほど快適に過ごせる。ライトだって、寝袋だって高くてコンパクトな物が金を出せばいくらだって良い物が買える。僕たちは元々持っていたり、少ない荷物でやっていたので不便が多かったのかもしれないが、何が必要でどんな事をすれば効率的に動けるのか頭で考えるようになった。普段の生活でここまで頭を使っている気がしない。分からない事が有れば、スマホで調べればいいし、暇なら娯楽も全てネット上で完結してしまう。

でも、自然の中はもっと自由でその不便さと引き換えに生きているという実感や、何もないけど充実している感覚で満たされている。魚だって初めて腹を捌いて内臓を取り出したり、竈門を作ってその炭で炙って肉や魚を食べた。過去の人々がやっていた普通の事を、僕が何も知らない事に少し危機感を覚えた。お金で全てが買える時代、お金を稼ぐ事がその人の価値と言われる今の時代でこんな原始的な行動は無意味なのかもしれない。

けど、僕は魚を切った時に出た赤い血や、鳥や川や虫の音、焚き火が爆ぜては炎が揺らめくあの一瞬の感覚を忘れたくはない。本当の生活は生きている実感を感じる事が出来る自然の中にあるのかもしれない。









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