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『死に場所』を探して。

ファームステイ先から出て、沖縄を目指す事にした。日が登り出した早朝のバス停から港へ向かうバスに乗り込み、通学の為に通う高校生の中に紛れながら20代半ばの無職が揺られている。

早朝の港はやけに静かで、バスを降りた瞬間に湿気と海風がまとわりついた。フェリーの待合所を目指すと一人の老人に話しかけられた。どうやら同じフェリーに乗るらしい。この旅を始めてから、色んな人に話しかけられたので慣れてしまった。しかも、同じ部屋で寝床も隣だった。沖縄を目指すこのフェリーで10時間はこの老人と共に過ごす事になった。

船に乗り込み、その老人に観光ですか?と話し掛けると、『死に場所』を探しに行くのだと皺の多い目元を緩ませて答えた。

どうやらその老人は、80歳前半で多くの病気を患い、年金暮らしをしていると言う。僕は何故沖縄へ?と質問すると、海が好きで終わる時は海の近くで死にたいと終始穏やかな口調で答えた。その人の過去や、両親の死別、今までしてきた仕事や好きな音楽家や結婚をしなかった理由まで。多くの物語を絵本を読み聞かすように教えてくれた。

色々な人と交流するなかで、『何故生きるのだろう』と、ここ最近よく考えている。どうせ死ぬのだ、このまま生きていても家族や社会に迷惑が掛かるし、ここで終わらせても良いのではないかとふと頭の隅をよぎる。フェリーの甲板に出ると、深い紺色の海が何処までも続いていて、ここから身を乗り出したらと考えた瞬間に、恐怖が思考や身体中を強張らせて動けなかった。生きたいのか、死にたいのかの狭間にいる。鬱の状態では無い。ただどっちが自分の生き方や最後に相応しいのか、知りたいだけだ。

周りと比べたら圧倒的に時間に裕福だが、金や社会的な立場が無い自分と、日々生きる為にと金銭を稼ぎ、時間を売り続けるが社会的な信用があり、安定した生活が送れる人たち。どちらが幸せなのだろう。

幸せも仕事も生きづらさなどの悩みに向き合えば、向き合うほど。自分なりの答えが欲しいとしか現状では分からない。自分の足で立つのはしんどいし、苦しくて大変だとファームステイのオーナーさんは言ってくれた。僕に向けて言ってくれた真っ直ぐで突き刺さる言葉は、不安や悩みを生んだけど、それでも手に持っていたいと思うものだった。

フェリーが沖縄に到着し、老人に別れを告げた。二度と会うことは無い。だってこの終着点が老人にとっては死に場所なのだから。これから先、放浪する自分の人生とは交わることはもう無い。一期一会というのだろうか。

この世に産まれた人間は皆んな、『死に場所を探している』のかもしれない。生きている限り、探し続ける。何処にあるのか分からないその居場所や意味を。時間も金も限りがある。今健康でも、老人のように身体中を病に蝕まれては動くことが出来なくなる日が必ず来る。未来も大事だが、今も大事だ。両方捨てる事が出来ない自分はつくづく優柔不断だなと思う。

老人と分かれてからゲストハウスにしばらく滞在する事に決めた。少しでも自分なりの答えが知りたい。やりたいことリストを100個書こうと思い立ち、昨日からずっと頭を抱えている。一つ一つ、長い時間をかけて達成したい。僕が死に場所を探すように。




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