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母の『骨』が、腕の中で軋んだ。


母が病院から退院して、実家に戻ってきた。僕が知っている母とは違い、別人のように見える。少し丸みのある顔がすっきりして、着ていた洋服がだぼだぼに弛んで行き場を無くしている。母の体重は知らないが、以前より10kg以上は減量したのだろう。食事も少なめによそったご飯ですら半分くらいしか食べられない。

食べるのも歩くのも一苦労といった状態だ。いつも眉間に皺を寄せて、しんどそうにしている。姉が実家に居るので、食事や風呂は姉が面倒を見て、洗い物や洗濯は僕の仕事になった。一人暮らしをしていて良かったなと思うし、掃除も洗濯も嫌いじゃないので余り苦痛にはならない。母は専業主婦なので、この作業を全て一人でやっていたのかと驚いている。食事だって母は手を抜かない。冷凍食品は使わないし、食べた事がない。そんな生活を何十年と続けて暮らしてきたのだろう。今の母はほとんどベットで過ごしていて、テレビを永遠と見ている。日当たりの悪い部屋は暖房が付いていて、暖かいけど暗かった。

リビングに来ても、僕と少し会話してコタツに足を入れてはじっとしている。母が立ち上がろうとして、ふらついたので僕が後ろから支えるように母を抱きしめて、起き上がらせる。


骨張った母の身体が僕の腕の中で、軋んだ。


以前の様に、僕を叱ったり父の気に食わない所に怒ったり姉と笑ったりも出来ないのかもしれない。自力で起き上がることすら、しんどいのだから。目の前に居る母が今にも消えそうな灯火に見えた。きっと長くは居られないし、こんな風に抱き抱えることすら出来なくなる日が来ると確信した。母の日に僕が贈った紫陽花の花を、共に見ることも出来ないのかもしれない。

明日か、来年か、10年後か。必ず来るその日を僕は受け入れられるのだろうか。人の死の受け止め方を考えれば考えるほど、母の軋まない骨を僕が手のひらの上に乗せて、じっと見ているような未来が思い浮かんだ。

この軋みは生きているからこそ響くのだ。母の意思があるからこそ、僕の心に響くのだと思う。








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