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誰もがあの日の深い悲しみの中に居て、そこは『海の底』より暗い。


連日のように、3.11の報道を目にする。あれから10年と言って、多くの人が水を得た魚のようにSNSに3.11に関するツイートをする。普段の日は皆んな忘れたように過ごしていているのに、この日になるとお通夜のような雰囲気が蔓延している。次の日にはそんな事無かったみたいに平然として過ごしていくのに。

被災した人、被災しなかった人、忘れる人、忘れられない人。僕は直接的な被害は受けなかったが、あの日の事は今でも鮮明に思い出せるし、普段の生活では余り意識する事は無かった。きっと僕みたいに直接的な被害が無かった人は、いつも3.11の事を思っている人は少ないのかもしれない。


でも、誰であれまだ深い悲しみの底にいるのかもしれない。


こうして思い出し、あの日思ったことを書き出したり、家族や友人と共有することが出来るのはそれだけあの津波の映像や被災地の様子を見て、多少なりとも心に深い傷を負っているのかもしれない。共有する事でその痛みや不安を和らげている。

あの日、僕は中学生で体育の授業で外に出ていた。急に物凄い勢いで揺れ始め、体育館の窓ガラスが湾曲するように波打っていた。直ぐに授業が中断し、家に帰って母と物の整理をした。テレビでは原発の様子や被災地の現場の状況が流れていた。アナウンサーたちの緊迫した様子が画面越しから伝わって、不安で仕方なかった。ネットを見ると皆んなが状況の中継をしていて、流れる文字をひたすら見ていた。誰もが不安で、何が起こったか分からない状況下で必死に情報提供をしていた。この世の終わりみたいな空気感だった。

その日は東京に出ていた姉が家に帰る事が出来ず、母も父も不安そうにしていた。僕も一睡も出来ず、ただ布団にくるまって何もする事が出来なかった。急に日常が壊れてしまったような気がして、もう元には戻らないのかもしれないという漠然とした絶望感みたいな気持ちが湧いては泡のように消えていった。

10年経ってもあの日の不安だったり、絶望感だったり、もう元の日常には戻らないのではないかという恐怖で一杯になる時がある。痛みはいつか時間が経てば風化する物だと思っていたが、どうやら違うらしい。深い痛みは傷を残していつまでも残り続ける。痛みは無くなっても、傷や悲しみが其処には跡として残っている。

僕たちはまだ、あの日の深い海のような悲しみの中にいて、底はきっと日の光が入らない『海の底』より暗いのだろう。

被災者でも、被災者じゃなくても、傷を抱えていてきっと自分が傷付いている事に気付いてない人たちもいると思う。海の底にいると暗くて自分の傷に気付かない。日の光を浴びて、ようやく傷の確認が視認出来るようになる。自分もまだ暗い海の底に留まっているような気がする。

いっその事魚になれたら何処までも泳いで、この悲しみをいつか忘れる事ができるのか。今抱えている不安や悲しみは自分たちが人だからこそ、海で溺れて息が出来なくなってしまうのと似ている気がする。10年前は東日本大震災、そして今はコロナで世界中の人が不安の海の底にいて溺れている。

今の僕が出来るのはこの手足を使って、日の光が入る海面を目指して泳ぐことだけだ。










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