何も無い部屋に、『自分らしさ』を残して。
今日、引っ越し業者が来て大きな荷物を全部配送してもらった。後は部屋の掃除をして、要らない物をゴミに出したり、風呂やトイレの掃除をして、使わなくなった家電を買い取って貰ってこの部屋の鍵を渡せば終わり。
部屋の物が無くなる度に自分の部屋じゃない無機質な空間になっていく。自分の荷物がこんなにあったのかと驚いたし、服や靴の買い取りを初めてして100円とか500円の値が付いた時は何かショックだった。意外とそんなに売れなさそうな物が結構良い値が付いたりする。
荷物を減らしたくて、色々な思い出を手放してしまった。それでも、大きめの段ボール4つに収まらなくて、郵便局で何回も郵送して窓口の人に顔を覚えられてしまった。それでも繁忙期の今の時期に安く済ませられたのは良かったのかもしれない。
大学の4年間を一度も引っ越す事なく、同じ部屋で同じ場所で過ごした。立地が良いので、何かと便利な場所だったし、古本屋も沢山あったから退屈しなかった。友人とラーメンを食べに行ったり、古着屋で服を買ったり、アルバイトをしたパン屋があったり。思い返せば部屋だけじゃなくて色んな場所に僕の『思い出』が散らばっている。
全てが良い思い出とは言えないが、それでも良かったと受け入れられるようになった。この部屋にも友人を招いて、鍋をしながら酒を飲み、夜中まで語ったり、将来どうするのかと自分の生き方の指針について止めどなく話した。僕は余り自分の部屋に人を入れた事が無かったので、最初は落ち着かなかったが直ぐに慣れた。楽しさの方が上回ってどうでも良くなった。今ではほとんどの友人と会う事が少なくなって、最後に会えるのは卒業式の時ぐらいかもしれない。
思えば部屋のインテリアを変えたり、間接照明を置いたり自分だけの空間を作るのが楽しかった。落ち着く空間を誰かに共有するのも好きだし、部屋を見せる事は自分のアイデンティティの一部を見せているような気がする。本やインテリアを見たときに、その人らしさみたいなものを感じる。だから荷物を捨てたり、整理していると『自分らしさ』が無くなっていくような感覚に陥るのだと思う。
きっと自分らしさは物や思い出に残る。僕がよく言っていた喫茶店や個性的な本屋や、桜や紅葉を見に行った寺や鴨川、サークルメンバーで食べに行った店にも全部に、僕や僕と過ごした友人達が自分らしさを思い出として残していくのかもしれない。
何も無くなってやる事が無くなった部屋でこの記事を書いている。この記事を残す事で将来の自分が自分らしさや色々な場所で過ごした思い出を感じる事が出来たら、きっとまた大学生の頃の自分らしさを思い出す事ができるだろう。それまでは、形に残らない『自分らしさ』としてこの何も無い部屋に残していこう。
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