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『ドライフラワー』みたいに枯れて生きたい。


優里のドライフラワーという曲が流行っているらしい。つい最近、THE FIRST TAKEで改めて聴いた。何処かで聴いたことがあるなと思ったら良く行く本屋で流れていたのを小耳に挟んでいた。歌詞を見ると女性目線の失恋の歌みたいだ。

僕は今まで音楽を聴く時に歌詞を気にした事が無かった。メロディを音を聴いていて、ピンっと来たらApple Musicで探してダウンロードしている。YouTubeでアーティストの動画のコメント欄を見ると、皆んな歌詞について言及している事に気付いた。自分が意外と少数派なのかもしれない。歌詞に共感して、過去の恋愛の失敗や過ちを反省したりするんだろうか。

全然関係無いかもしれないけど、僕はドライフラワーが好きだ。質素な部屋に植物を置きたくなって、生花や観葉植物を置くより、元々枯れているドライフラワーの方が手間も掛からなくていいだろうという考えだ。彩りも生花より落ち着いていて自分好みだった。実際オシャレなので気に入っている。

引っ越しで部屋の整理の時にドライフラワーを捨てるか持っていくかで悩んでいる。こんなに気に入ってるのに、好きで選んで買ったのに、自分がこの部屋を出て行くとなると荷物が増えて邪魔になってしまう。まるで、恋愛で彼女と別れるから部屋を出て行くみたいな悩みだなと、一人で物が少なくなっていく部屋で何となく思っている。

見送る人と見送られる人。捨てる人と捨てられる人。僕はどっちかというと、見送られたり捨てられる人の立場によく居たのであんまりそっち側の人の感情が分からない。何となくふらっと出て行って、ふらっと帰ってくるのが落ち着くし、後腐れのない関係が好きだ。誰かに必要とされるのがしんどいと思ってしまう。でも恋愛も少ないけど経験して分かったのは、喧嘩しても、全部嫌になっても心の底で嫌いじゃないと思う自分もいる。だって好きでその女の子を選んだし、その子と楽しい思い出を作りたいと思ったから。

でも綺麗なままではいられないのが恋愛だ。一緒に居ると相手のわがままなところや、身勝手はところとか、自分と合わない部分がどんどん目について一緒に居られなくなる。


彼女が居なくてしばらく経つ。一人の方が気が楽で、寂しさすら最近まで気付かなかった。孤独さえ慣れてしまう。このまま、年老いていくんだろうか。もし結婚したいと思えるような相手が見つからなくても、


ドライフラワー』みたいに静かに色褪せて、枯れて生きたい。










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