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【感じる力を取り戻す】感じるセンサーの開き方

「感じることが大切」
って言われるけど、
感じるってどうすればいいの?

自分の感じていることがよくわからない。

実はそんなお声も
よくいただくもののひとつです。

☑ 感じるセンサーの開き方
☑ あなたの感度が下がる理由

について書いています。


感度は許しと比例する


感じる力は誰もが持っていますが
感じ方は千差万別、
誰かと比べるものではありませんし
測れるものでもありません。

誰もが持っているものなのに、
その力を使いこなす人と
抑え込んでしまう人がいる。

その違いは、
「感じることを許しているかどうか」

これだけだったりする。

感じる < 考える

自分が感じたことよりも
一生懸命考えることに意味がある。

考えて考えて考えて
正しい答えを求めることに意義がある。 
正解を出すことが大切である。

自分が感じたことよりも
周りのみんなに合わせること
はみ出さないこと
注目を浴びないこと

そういうことばかりを大切にしてきたのなら
感じるセンサーはちょっとばかり
錆びているかもしれないよね。

でも大丈夫、磨くだけだから。

だからまず初めに、
とっても大切なことは
「何を感じてもいい。」と
それを許すこと。


ネガティブな感情を見張らなくていい


ネガティブ=ダメなこと。
ネガティブを感じる=幸せじゃない。

あなたの中に
こんな方程式は無いだろうか?

でもちょっと考えてみて。
この方程式って誰が決めたの?

夫へのイライラ
子供がうっとおしい
上司がむかつく
やる気が出ない

こういった不満やイライラ、
罪悪感という
ネガティブな気持ちは感じてはダメ

自分の中にあってはダメなもの
として無意識に抑えつけてはいないだろうか?

だから、こういった感情が湧かないように
いつも見張っていなければならないし、
湧いてきたらならすごく焦る。

何とかしなければって。

これではとっても疲弊する。
だから感じたくない。
なかったことにしておきたいの。


ジャッジをやめるとは?

気持ちという見えない領域は
全部がグラデーションのように曖昧で
ひとつなぎになっている。

嬉しさだけ!
楽しさだけをずっと!

というのは不可能であると
誰もがわかっていることです。

それでもできれば
いい気持ちだけを感じていたいと、

感じていたい、いい気持ち
感じたくない、いやな気持ち

というように
ジャッジするから
結果、鈍くなるんです。

だってジャッジすることに
頭が忙しくなるから。

考えることと感じることは
同時にはできないの。


全部が同じ、大切な私の気持ち。

ネガティブな気持ちを
わざわざ「不幸」と呼ばなくてもいいし
無理に追い出そうとしなくていいの。


全部引き受けると決める

感じることを許すとは
言い換えれば、

どんな気持ちも全て引き受けます。
と決めることでもある。

感じるセンサーは
どちらか一方にだけ開くことは出来ない。

嫌なことがないようにと
入り口をいつも閉じてこもっていたら、
嫌なことは回避できたとしても

扉の向こうにある喜びには気づけない。

扉を開けて、
一歩踏み出してみるからこそ
その先にある喜びを感じることができる。

たとえ嫌な気持ちになってもいい。
それを感じることを許して、
引き受けうける。
感じてもいい。

そうやって許した分、

嬉しい
楽しい
幸せ
美しい
愛おしい

これらもより深く
感じられるようになっていく。

「この体で感じられる」
これって本当は
すでにものすごい奇跡の上にある。

私がいなければ
この体がなければ
私が感じるこの世界もないのだから。


秋だなぁ。マステも入れ替え。


オマケ:右足の感覚がなくなった時に思ったこと

1年半ほど前に、
人生で初めて外科的手術を受けたことがあって。

数時間後に麻酔から目覚めたものの、
なぜだか右足だけ麻酔の影響で6時間ぐらい動かず。

全く感覚もなく完全なる「無」の状態。

自分では一ミリたりとも動かすことができず、
叩いてみても「ペシッ」と音はするが「無」
叩いたほうの手には触れた感触があるのに、
足は何も感じないって、
本当に不思議な感じがした。

看護師さんに支えてもらい、
一度立ってみることに。
もちろん自分では動かせないので
持ち上げてもらい、床につけてもらった。
「ベチッ」と肉の塊が落ちた音がした。

しかしやはり伝わる感覚は何もない「無」
ベットの柵と看護師さんにつかまりながら
立ち上がろうとしてみるものの、バランスが取れず。

足はあるのに!!って思った。
感覚がないとあっても支えにならないんだ、って
初めて知りました。

数時間の出来事ですぐに元通りになったから
今は笑い話だが、

この肉体があって、
痛みなく動くこと
感覚があって感じられること

それがどれだけ素晴らしいことなのか。

まさに身をもって知りました。
感じられないって「無」なんだよね。

どんな感情も感覚も
感じることは
私が生きてる証。

とっても尊いのです。

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