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やっぱりテストで100点欲しいか?

学生の頃、なぜ勉強をしていたのか。
それはテストでいい点を取るためだ。

いい点をとって入試に合格するためだ。
入学試験に合格して、いい学校に入って、いい学校を卒業する。

いい学校を卒業したら、多分、いい会社に入れる。
いい会社に入ったら、いい人生が送れる、だろうか???

大人になって初めて気づくことがある。
いい学校に入ったら、いい学校を卒業したら、いい会社に入ったら、いい人生が送れなかったことに。

いい人生というのは人によって定義が違う。
金持ちになることがいい人生だったり、良い仲間に恵まれていることがいい人生だったり。

でも子どもの頃って、「いい人生とは。。」みたいなこと考えないで勉強だけする。
とにかくいい学校に入るために。

もちろんいい学校を卒業すれば、社会に出るときの選択肢が広がる。
でも、それ以上でも、それ以下でもない。

学習することは大事だ。
だが、試験でいい点を取る事は必ずしも大事ではない。
学ぶ事は大事だが、いい学校に入る事は必ずしも大事なことではない。

例えば英語のテスト。
100点とった。
すごい。

80点とった。
100点取れなかった。残りの20点分は他のことに興味がいってしまった。

どちらが人生にとって有意義だろうか。

何が何でも100点とっていく人生だろうか。
80点そこそこで、残りの20点は「余白」を生きる人生だろうか。

この「20点の余白」を埋めてあげるのが学校の先生だったり、周りの大人たちだったりだと思っている。

そして、人生その20点を捨てた部分で何を学ぶかが重要だ。
これからの時代、その20点の部分は「多様性」を学ぶべきだと思っている。

人種差別もそうだが、それ以上に、人間一人一人が異なることへの寛容さをもっと学ぶべきだ

人はひとりひとり違う。
白人と黒人、
日本人と外人、
男と女、
と、そんな単純なものじゃない。

人はひとりひとりがそれぞれに価値を持ち、一人一人が重要である。

人だけではない。犬だって1匹1匹が個々に思いを持っている。
1匹1匹が価値を持っている。重要である。

人間は、犬が何もわからないと思って、スマホいじりながら散歩をするかもしれない。でも犬は気づいている。自分に注意が向けられてないということに。

犬は人間にとっての飾りじゃない。
女性は男性にとって飾りじゃない。
黒人は白人にとって奴隷じゃない。

例えばそんな大切なことを、20点分の余白で大人たちは今の子どもたちに伝えていくべきじゃないだろうか。

私は子どもの頃、とにかく学校でいい点を取るべく、塾に通い、1点でもスコアを上げるために勉強した。
だからそんな私が今、大人になったからといって、子どもたちにその20点分の余白で別のことをやろうよと言っても説得力がない。
彼らからすると、「少しでもいい学校に入ることが大事なんだよ。邪魔するなよ。」と思うだろう。

私のようなおっさんが、一人で何を言っても何を叫んでも誰にも何も伝わらないかもしれない。
でも大事なことだから叫ぶし叫ぶ。毎日叫ぶ。

学校のテストで点を取ることも大事だ。
ただ、今後はテストの点以外にも価値を見出して行こうじゃないか。

人にあれこれ指図されないと動けない大人になっちゃいけない。
もっと自分で考えて行動できる大人になろうじゃないか。

そのためにはこの20点の余白の使い方が、将来大きく影響してくる。
大人になってから気づくのでは、ちょっと遅いかもしれない。

今のおっさんたちは、テストでいい点取ることばかり考えて勉強してきたから、発想が乏しい奴が多い。自分が何を大切にしているかを説明できない奴が多い。そんな大人にならないためにも、今からこの「20点の余白」をうまく使っていこうじゃないか。

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