人はなぜ働くのか

こんにちは。
14歳の頃から疑問に思い続けてます。

人はなぜ働くのか


少し家族のことを話します。
父は運送関係の自営業で曜日問わず早朝から夜遅くまで働き詰め、母はパートで朝から夕方まで仕事し、帰宅したら家事という仕事をしていた。

父は給料=労働時間と考えているかの如く、ほぼ休みなく働いていた。私から言わせるとやり方が悪いの一言だ。
思考停止して惰性で稼ぎの悪いキツい仕事をやり続ける。そんな典型であった。

母は家事が本当に嫌いで仕事と考えている。ストレスを感じると咳が増えるらしいが、家事の最中はずっと咳き込んでいた。

そんな2人から出る言葉は「疲れた」や「イライラする」等のネガティブワードに加え溜め息ばかりだ。
休日は家族で出掛けることは無く、基本家にいた。
節約の為にトイレは数回流さず、雨水を汲んでトイレで流していた。まるで被災地のような生活だ。
幼心ながら鬱々とした環境だと思っていた。


そんな環境で子供はマトモに育つ筈も無い。
あんな風に生きたくないと思いながらも、人は変わる事ができない現実に私は苦しめられている。
貧乏人の子供は貧乏人になる。
なぜ貧乏か分からずに同じ道を辿る。
過去の統計を見ても明らかだ。


「貧すれば鈍する」
20歳の頃に出会った言葉だが、我が家の事を言い表している。
物質的貧しさは心理的貧しさに繋がり行動が起こせなくなる。
私はそう解釈している。


自立した今も両親は非効率な労働方法で生きている。
子が巣立ち生活に余裕が出てきたのか、最近は旅行に行くようになった。
だが、母に内容を聞くと私は毎回驚かされる。
父が工程を決めるそうだが、毎回修行のような旅だからだ。時間単位で工程を決め、観光地を回る事だけを目的とした旅行。

全てYouTubeでどんな場所かを入念に調べている。
調べるのは結構だが、他人の撮影動画で場所を評価して行く行かないを決めている。自分の目で見ていない景色(他人のレンズ越しの風景)を他人基準の評価で決めていること。
とても窮屈な感じがする。まるで判断基準を持たず生きているようだ。


1泊2日で行く事が多いが、泊まるホテルは格安の民宿か格安のビジネスホテルだ。
以前こんな質問をした。
「一流のホテルサービスを受けた事ある?」と。
勿論、答えはNOだ。愚問であった。
私は会社の福利厚生を利用して、良いホテルを利用した事があり、それなりの経験や視点は持っているつもりだ。


とにかく貧乏旅行過ぎて聞いてて涙が出てくる。
私が連れて行こうとしても断られる。
自分達で決めたいそうだ。
というより、私とは価値観が全然違う。


話題が逸れたが、貧乏故に効率の悪い働き方を続けてきた両親。
思考停止で長時間労働を受け入れる日本人的思考。
何故働いても働いてもウチは貧乏なのか、中学生だった当時は分からなかった。


今でも日本人は働き過ぎだと思う。
長時間労働が美徳で仕事出来るという文化。
非効率に働くのは、無駄な人件費である。
海外で長時間労働してたら、仕事出来ないと烙印を押される。


私は18歳から働き始めたが、特に働く理由は無かった。
それ故に不本意な残業をさせられる事が堪らなく嫌だった。
何故私の時間を会社に使われなければならないのか?と。必要な分の労働力は提供したのにだ。
時間内に終わらない仕事量をさせるなら人を増やすか効率化を進めるべきでは無いのか?
下っ端が業務効率について嘆いても、中途半端な規模の企業程何も変わらない。諦めてイヤイヤ仕事をしていた。そんな会社は早々に辞めるべきあった。

早いもので7年が過ぎ、更に長時間労働になった。
もう嫌だと思い退職し現在に至る。
そこで冒頭の問いだ。

人はなぜ働くのか


いつ死ぬかも分からないのに、使い切れるか分からない金を稼いで、心配だからと無意味に生命保険に入り、安心を金で買う。
「保険は入った方が良いかもしれない」「年金は貰えないかも知れない」「老後資金は足りないかも知れない」多数派の意見である常識やメディアの印象操作により情報の真偽を判断出来ず踊らされ搾取される。
そんな日本人が実に多い。


商売する側は実に簡単だったと思う。
日本人ほどマーケティングやブランディングに弱い民族は居ないのでは?とすら思う。


必死になり仕事をし、昇進し、役職を得て束の間の安心を得る。退職すれば肩書は無くなるにも関わらずだ。
そこまでして働く事に何の意味があるのか。


会社スローガンに「社会貢献と自己実現」とあったが、仕事を通じて自己実現せよということか。
私にとって会社は生活の糧を得る為の場であり、不要な付き合いや惰性の馴れ合いは時間の無駄である。


人はなぜ働くのか


私は死ぬまでこの問いを抱き続けるだろう。

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