自分が喜ぶ選択をするステージに行ってみた
恥を忍んで言葉にしますが、人から認められたい、好かれたい、評価されたい、そんな欲に駆られ、それを実現するための自分探しをし続けてきた時間を長く過ごしてきたように思います。
これらの欲を原動力にチャレンジしたり、学んだり、体験をしてきたので、この欲がダメかと言ったらそんなことはない。ただ、この欲が生きにくくしていたのも事実です。
私は、欲を満たすための不足を補うために、身体の弱さ、メンタルの弱さ、知識の弱さ、様々な弱い自分と向き合ってきました。
学び、実践し、以前の自分と比べると健康な心身を手に入れ、専門職でキャリアを積むことができるようになりました。
で、欲が満たされたのかというと…それはわかりません。
好いという言う人もいれば、嫌という人もいるだろうし、評価してくれる人もいれば、声には出さなくても「まだまだ」と思っている人もいるでしょう。
だから欲が満たされたかどうかはわからないのですが、弱さと向き合い続けた結果、欲からの解放されるということが起きました。
他者の評価から解放されていくことで、とても生きやすくなりました。
なぜ解放されたのか…
ずっと他者から評価されることが自分の存在価値なのだと思い込んできました。
職業柄、自己探求や心理学、哲学などに触れる学びが多かったことに加え、多くの方と深く向き合うことを行ってきました。
その結果、全ての生命はそれだけで価値があり、誰一人として何かが欠けた存在ではないことが腹落ちしていったんです。
「承認・評価されること=自己価値」ではない
弱さと向き合い、補う知識や実践を重ねたことで心身がラクになったのだけれども、これは承認・評価されたからではなく、自分を理解して、自分を受け入れ、自分にあった克服法で自分をラクにしていったから。
そして誰もが生まれながらにして価値があることを理解していったから。
で、心身が楽になり、欲から解放されて生きやすくなり、幸せいっぱい悩みなき人生が始まったかと言えば全くそんなことはなく、原動力を見失うということが起きました。
欲を満たすために何かを補うことが原動力だった私にとって、何を原動力にしていけばいいのかがわからなくなっていったんです。
原動力がなくなった結果辿りついたこと
今まで欲を満たすために頑張ってきたのですが、何を原動力に生きればいいのかわからなくなり、何をどうしたいのかが見えなくなったのです。
苦しくもないけど、高揚感もない。
モヤモヤとこの感覚と向き合い続けてきて、今、実践し始めていることが自分を喜ばせること。
先の未来が光り輝きそうな安全な選択をしてきて「今」を楽しむことや「今」の自分が喜ぶことをしてこなかったのです。
今を楽しめなかった上に、実際には光り輝やかず、大きなダメージを喰らわない安全な道を歩むだけだったのですが…
承認や評価では、私がイメージする光輝く未来にはならないんですよね。
私が幸福感に包まれるのは、私が幸福感を感じることをしていることだけでしか満たせない。
そんなわけで、ただいま自分を満たしながら自分がこの命を使ってやりたいことやれることをやっていこうと思っています。それで人に喜んでもらえる存在になったら最高!という欲もまだあります(笑)
でも長年の憑きものがやっととれたような軽やかな感覚を得ています。
もちろん、悩んだり迷ったり、いろいろな感情がありますが、以前よりも希望や楽しさ、喜びを格段に感じるようになりました。
欲との付き合い方
欲が悪いわけではありません。
ただ欲に執着しちゃうと辛いんですよね。
「執着を手放すといい」と言われるけど、そんな簡単に手放せない。だから苦しい。でも手放せないのは自分の価値と混同しているからではないかなって思い始めています。
好かれたい
評価されたい
収入をあげたい
きれいになりたい
いろんな欲がありますよね。
でもこれを満たしても満たさなくても、その人との価値とはイコールではないんです。
そして欲はどれも楽しそうな未来を創る希望でもあると思います。
で、今思っているのは欲の結果に執着しないで、欲を満たすプロセスを楽しめる自分になることがいいように思ってます。
欲をなくせるほど悟りはひらけないし、まだその境地に行かなくてもいいかなとも思ってます。
結果に執着しないで、欲を満たすプロセスを楽しむ。そのために今の自分の心の声を聞いて、内側から湧き出る思いなのかは見極めていきたいと思ってます。
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