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スマホの隙間。

GWがあっという間に終わってはや1週間。
9連休にした人も多かったのかな。私はカレンダー通りのお休みだったから5日間。仕事の5日間はいつでも長く感じるのに、どうしてお休みの5日間はこんなにも俊足で過ぎてっちゃうのかしら。

どこも混むだろうしお金も厳しいし、特に遠出はしなかった。その分友達や家族と会ったり身体を動かしたりして、存分にお休みを満喫。
あー楽しかったな、とほくほくして、思い出にひたろうとスマホのカメラフォルダを見るも、GW中の写真がほとんどない。その日々がすこんと抜け落ちてるみたいに。
そういえば、どの日も全然写真を撮らなかったんだった。
元々私は人といるときにあんまり写真を撮る方じゃないし、「映え」とかにも全く興味ない。誰かと過ごす時はスマホを触るより、その場を全力で楽しみたい。だから相手が言い出してくれない限り、その時間を写真に残すことを忘れがち。
見返せるように、やっぱりちょっとくらい写真撮っとけば良かったかもとは思うけど、まあそれだけ思いっきり楽しんだってことだし、私の中にその時間はちゃんと残ってるからいいか。

そして日常に戻った今はといえば、ずーーーっとスマホを触っている。文字通り、目が覚めた瞬間から寝る瞬間まで。さっきも見たSNSをまた開いて、何とはなしに眺めて。
数分後には何を見たか覚えてないくらい無意味だし、目や頭は痛くなるし、用のない情報の洪水を受けて脳にも心にも負担がかかっているはず。時間を浪費しているとしか思えない。そんなことは理解してるし、不健康だしやめたい。なのにやめられない。ちょっと依存してる気がして怖くなるほどだ。
GWはあんなにスマホを放置できていたのに、1人で過ごす毎日ではこの小さなデバイスに吸い込まれている。
どうしてかな、と考えると、単純に暇なのと、多分寂しいのだ。SNSで友達の投稿を見ている間は、何となく「つながっている」ように思えるのかもしれない。んなわきゃないとも分かりつつ。
スマホ以外で暇を埋めたい。最近本を読んでないし、新しいコミュニティに出かけて交友関係を広げるようなこともしてない。できることはいっぱいあるはずだ。

ひとまず少し自分を整えようと、久しぶりにお気に入りのカフェへ行った。
開店時刻ぴったりを見計らってそうっとドアを開けた。一番乗りだった。店主さんに、注文したお菓子と合うお茶をおすすめしてもらって、淹れてくれる様子を見ながらゆっくり待つ。テーブルに置いてくれたお茶とお菓子の美しさ、おいしさにほうっとため息がでる。雨のこの日、いつも以上にゆったりした時間がお店に流れていて心地いい。本当は自分の気持ちを吐き出そうとノートを持ってきてたけど、しばらく雨音とこの空間を楽しみたくて、ぼんやりお茶をすすっていた。お客さんは私だけ。ここを独り占めして、何もせずただゆったり過ごす。なんて贅沢。スマホはいらなかった。
どこを見るでもなしにぽけっとしていたら、カウンター越しに店主さんが「お味どうですか?」と声をかけてくれた。
「お茶もお菓子も美味しいです。ほんとに美味しい。」
「あぁ良かったです。普段もこういうお菓子召し上がりますか?」
そんな入口から、お店のことやお茶のこと、店主さんがお店を始めるきっかけになったことなどなど、色んなお話を聞いた。店主さんの情熱とこだわりに溢れた仕事観を伺うのはすごく興味深かった。シャープで男前な店主さん、年齢は私とそんなに変わらないけど、熟練の職人さんのようでもあり、エンターテイナーでもあり。プロフェッショナルの道を行く方だ。
私の周りってこんな風に、自分の仕事が本当に好きで、夢中で打ち込んで…という方が多い。自分が仕事に対してそこまでの情熱を傾けられていないだけに、眩しさに目を細めつつ、その人たちが照らしてくれる光を楽しむのが好きだ。こんな人たちに出会えていることってほんとにラッキーだなあとつくづく思う。
他のお客さんがちらほら来始めて、おしゃべりは終了。気づいたら1時間近く経っていた。何度かここにお邪魔しているけど、注文以外で店主さんと会話をしたのは数えるくらいで、それも去り際に一言二言、といった程度だった。こうやってゆっくり想いの丈を聴けて嬉しい。もしスマホをいじってたら、店主さんは気遣って話しかけにくかったかもしれない。余白を楽しんでいて良かった。

また写真は撮り忘れた。というか、あの空間に流れていた空気も、店主さんとの時間も、写真には残せない。残しようがない。
でも、やっぱりちゃんと心には残っている。

外に出ると、雨はだいぶ弱くなっていた。重たい空とは反対のようなすっきりした気持ちで、少し胸を張って、お店を後にした。

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