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カントクがカントクするもの。

チリトリ自由食堂でわたしと働いてくれたスタッフのカントクのことをすこし。

カントクです。と紹介された時、誰もがなんのカントク?と尋ねる。

だいたい彼女は、『駅伝の監督です』と答える。

壱岐島の新春マラソンで応援していた時にくるった応援方法をしていた応援テロリスト。
こんなに一生懸命人の応援するやつはいない、、、(ちょっと伝えられないのでどこかのマラソンイベントでくるった応援をしている人がいたら彼女です)

彼女はもとは精神科の作業療法士で、福祉の人である。。
一緒に働き、時間を一緒にすごすほどに、あぁ、福祉の人だなぁ。と想うようになった。

福祉とは。
福祉とはウィキによると、『幸せ』、や『豊かさ』を表すものであり、すべての市民に最低限の幸福と社会的援助をするという理念。



すこし話がずれるけれど、飛ばせないので、書くことにする。
わたしの姉は、俗にいう『ひきこもり』である。
そのため、なぜ?姉が、という問いをつねに抱えてきた。
昔は悩んでいたが、今は、家族がそうだということは恥ずかしいことでもなく、
かわいそうでもないし、不幸なことでもない。と思っているのであまり大々的に話すことはあまりない。
でも、自分に何ができるのか、ということと、姉の幸福は願っている。
人が、誰もが、本当にその人自身のちからで幸せを選択することができる状態を願っている。



いきている中で、無意識に自分を縛り付けているものを脱ぎ捨て
られるまでの過程やプロセスをかき集めてきた。


メンタルヘルスの知識で、パーソナリテイー障害や共依存などの構造や理解を深めているので、
パーソナリティー障害について彼女に質問したときに、なんでその単語普通に知ってるんですか?と聞き返された。


そんな話を雑談共有できる人は稀で、彼女は専門的だが、わたしは変態的だった。
いっしょに食堂で働きながらしてきたメンタル話。それは、わからないものに対する、理解を深めてくれた。
わからない、で終わらせない人との関係性を築く、絆を結ぶやり方を、思いやりを、お互いに、意見を出し合い、一緒に成長させてもらった。


福祉。それには、決めつけない、その人の可能性を疑わない、温かな目線が必要だ、
彼女のさなざまな可能性、を、疑わないという視点は天性のものがあると思う。


それは誰かの可能性を信じる力、待つこと、その可能性の扉をすこしずつ自分の力で開けるように。
応援することだ。

そして寄り添うこと。
すこし助けが必要な人に。その匙加減がとても重要で、福祉に公共に必要なのだとおもう。

彼女と過ごした日々は、たくさんの人と、新しい絆を育んでくれた。
その絆がいつか、誰かのささやかな幸せになり、応援できるものとなれたらうれしい。


カントクがカントクした、絆やつながりに彩られながら新しい季節がはじまる。


2023.3.31

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