2020/04/12(日)偶然観た「サンデースポーツ2020」をきっかけに南スーダンの若者と世界のいまについて想像した

 仕事術の本を読んだり創作活動をしたりで1日の速度と密度が上がってきました。

 一方で、ぼーっとする時間もたくさんあったり。

 時速50キロの時間帯と時速5キロの時間帯が1日のなかに両方ある。そんな感じでした。

 * * *

 ぼくは普段、ほとんどテレビを観ないのですが、日曜日は大河ドラマの日なので、その前後の番組はわりと観るようになった。

 今日は「大河ドラマ 麒麟がくる」と「NHKスペシャル デジタルVSリアル(2)さよならプライバシー」と「サンデースポーツ2020」を観た。

 「麒麟がくる」は顔のいい男たちが信念と激情の狭間でそれぞれの正義や葛藤をぶつけあっているのがたまらん。色香がある。観ているとハートが乙女になりそうになる。

 「NHKスペシャル デジタルVSリアル(2)さよならプライバシー」は香港とかウイグルとかかなりディストピア。アメリカは大衆が大衆すぎてヤバい。

 EUがプライバシー保護を厳しくしているのは第二次世界大戦と冷戦で「個人情報を管理・収集される怖さ」の舞台・当事者であったことが大きいのだろうか。

 30年前に冷戦終結したばかりで、東西ドイツ統一、東ヨーロッパ民主化などによりようやく情報統制やプライバシー監視から解放されたばかりなので、記憶がまだ生々しいのかもしれない。だからこそ「同じ轍を踏むのはごめんだ」と、他人事ではなく我が事として感じているのだろうか。

 ネット上での行動により自分自身が丸裸にされてしまう「デジタルツイン」については「こわぁ……」とは思うものの、悪意ある巨大企業とか政治権力に利用されたらもうどうしようもない。いまさらパソコンもスマホもない時代には戻れないし。

 そもそも、仮にITがなかったとしても、戸籍も収入も納税額も健康状態もすべて公権力は握っているわけで「便利さが増した分、持っていかれる個人情報も増した」と考えるほかない気もする。

 結局、いちばん怖いのは無責任な「匿名の個人」の集合体に目をつけられることに思えてならない。

 個人は、デマ流そうがリンチしようが責任とらなくていいですからね。少なくとも、いまは。

* * *

 「麒麟がくる」と「NHKスペシャル」からの流れで「サンデースポーツ2020」も観た。ちゃんと意識して観たのははじめてかもしれない。

 「このご時世ではスポーツ界もおおむね停止してしまっているので、スポーツニュースはどうするつもりなのだろう?」と思って観はじめたのだが、各スポーツ界の近況、コロナの影響、いまも開催中の競技の結果などをまず報じ、その後にいまの時世に沿った独自の内容がはじまった。

 最初は、新型コロナウイルスに対するアスリートのメッセージや取り組みなどについてコーナーから。テニスの大坂なおみ選手からのメッセージや、ラグビー日本代表、サッカー選手、フェンシング協会会長などが投稿した動画などが紹介された。

 そして次は、前橋市を拠点に練習している南スーダンのオリンピック選手たちについてのレポート。

 南スーダンはつい最近スーダンから独立したばかりの世界一新しい国家で、戦乱と貧困の真っ只中にあるという。

 「そうなの?」と思い、捨てずにとってあった1996年の地図帳を見てみたら、確かに「スーダン」しか載っていなかった。そこで、新しい地図帳を見ると「スーダン」が南北に分割され「南スーダン」ができていた。

 そういえば、自衛隊南スーダン派遣のPKOとかよく ニュースになっていましたね。

 南スーダンではオリンピックに出るような選手でも満足な練習施設が使えず、なかには十分な食事すらとれなかった人もいたという。

 そこで、前橋市が選手の合宿受け入れを行い、練習に集中できる環境を提供しているのだという。

 南スーダンではついこの間まで戦争をしていて、いまなお30万人にも及ぶ難民がいると言われる。

 民族間の対立も激しく、交流はほとんどなかったそうだが、4年前に建国後初となる、全民族の選手が一同に介したスポーツ大会が開かれた。そこでは次代を担う若者たちがスポーツと対話を通じて協調し、民族の垣根を越えて平和への思いを語り合い、大会後も地元でそれを発信しているという。

 ……と書くと、あまりにも美談すぎる感じになるが、先に書いたEUのプライバシー保護と同じで「酷い目に遭った」あるいは「このままじゃダメだ」という切実な当事者意識があるからこそ「自分たちが動かねば」という気分が醸成されるものなのかもしれない。逆に「酷い目」が遠い記憶になりすぎると「まあ……いいか……」とか「いや……よくわかんないし……」といった感じになりやすいというか……。

 さておき「スポーツは平和と団結をもたらす力がある」ということを戦乱と貧困の中でダイレクトに感じ取ったからこそ、前橋市にいる南スーダンの選手たちは「自分たちがやらねば」と踏んばれているのかもしれない。

 遠い遠い異国の地で家族とも離れ離れ。故郷はまだ不安定で、家族の収入や無事も心配。そんな折に世界的な疫病が発生し、そう遠くない異国の首都(東京)でも大感染が発生しつつある。実家の通信状況は悪く、電話が通じないことも多い。そんななか、故郷にまで疫病の魔の手が及び、国境封鎖が行われてしまった。もう日本を出て帰国することもできない。なによりも、オリンピック自体が延期になってしまった……。

 もしも自分がこの状況でがんばれるだろうかと自問すると、だいぶ厳しい。

 いつ行われるかわからない大会のために、遠い異国の地で、家族とも会えない状況で、ただひたすら練習に励む。

 厳しい。

 でも、それをやっている人がいるということは紛れもない事実。

 「もっと大変な状況でがんばっている人がいるのだから自分もがんばろう」という勇気づけられ方が果たして適切なのかどうかはわからないが、間違いなく言えるのは「いま、つらいのは『東京』だけでもなく『日本』だけでもなく『全世界』だ」ということ。

 「自分がいちばんつらい」とか「どうして自分だけがこんな目に」と思うととてもとてもつらくなるが「自分はひとりじゃない」と思えば、いくらかは気が楽になる。

 繰り返しになるが、こういう「気を楽にするやり方」が適切なのかはわからない。あまりいいことではないのかもしれない。

 それでも、ぼくにとっては視野を広げるきっかけとなったし「いまの世界」について想像力を働かせるきっかけにもなった。

 偶然観たスポーツニュースだったけれども「いま、それぞれの国で、人々はそれぞれどんな思いで暮らしているのだろうか」ということを考えるいい機会となった。

 

 


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