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昭和のマネジメントはなぜ通用しなくなったのかを検証(見えてくるマネジメントのリスキリングの方向性)

時代は大きく変わってきたと言われる昨今。令和に入りいわゆる昭和時代のマネジメントが通用しなくなったとよく言われます。
特にZ世代のマネジメントにおいて今までのマネジメントを見直さなければならないという論調が多くあります。
現役マネージャーも変化の必要性は実感していても、どのように変えれば良いのかわからないというのが本音ではないでしょうか。

ちまたでは、様々な手法が飛び交っています。あるアンケート調査ではミドルマネージャーはマネジメントに悩んでいる半面、大半の人が体系的にマネジメントを学んでいるという面白い結果が存在します。つまり今までの体系的なマネジメント手法さえ通用しないという事です。
マネジメントのリスキリングが急務なのではないかと思いますが、手法を考えるうえで、なぜ昭和時代のマネジメントが通用しなくなったのかを検証することが大事なので、検証してみたいと思います。

昭和時代のマネジメントとは

昭和時代のマネジメントはどのようなものかを考えてみます。

  1. 「気合」や「根性」という精神論で物事を進めがち

  2. 残業をするなど長時間労働など目で見える努力で判断しがち

  3. 飲みにケーションを重要視する

  4. 家庭より仕事優先を好む

  5. 役職や立場を使って言うことを聞かせようとする

  6. 部下の育成より社内営業を重視

  7. 若い時に頑張れば報われると考えている

  8. 過去の自慢・武勇伝が好きで話が説教じみている

  9. 部下は上司の背中を見て育つものだと考えている

  10. 部下は上司の意図を汲み取るものだと思っている

いわゆる昭和型のマネジメントが今の通用すると考える理由は簡単です。
昔は上記のようなマネジメントが当たり前で成功するマネジメント手法だったからです。ほんの10年前までは当たり前だったものが変化しているわけですから、しっかりマインドセットできにないと通用しなくなるのも当然です。しかし大事なのはなぜそれが昔は有効な方法で、今は全く通用しないのかを考えることです。

それでは、一つづつ社会的な背景や通用しない理由を考えていきましょう。

1.「気合」や「根性」という精神論で物事を進めがち

ほんの30年前にはパソコンと言うものが今ほど普及していませんでした。私が大学生の頃にパソコンやパソコン通信が出始めたところで、社会人なった時にやっと数年前から一人1台パソコンが導入されたという時代でした。営業等外回りでは、今のようにモバイル機器はなく、日報は紙に記載をして事務員に渡して入力してもらうのが普通でした。つまり今のように作業の効率化できるツールは少なく、とにかく時間をかけてやりきるしか方法がなかったのです。営業にしても携帯電話料金も従量制しかなったのでバンバン電話することも出来ず足で稼ぐのが当たり前の時代です。そのような時代に社会人として仕事をしていれば、当時の上司はパソコンのない時代に生きてきた人ばかりなのでとにかく手足を動かすことが仕事の第一歩だったのです。
仕事の効率化などでできることは限られれいるのでどれだけ頑張れるかが仕事ができるようになる唯一の方法なので、精神力がモノ言う時代だったのです。しかし、今は、効率化を図る手法が多様化していて、どれだけ仕事の効率化が図れるかが仕事をできる人になる方法に変化してきたのだと思います。ここに昭和型のマネジメントを続けていると通用しづらい点があるのだと思います。
ただ、どれだけ手法が多様化し、便利になったとしても、現時点では人の手が全く介在しない物はなく、仕事の上流になればなるほど手や足をどれだけ動かせるかが鍵になるのは間違いないと思います。つまり精神論が通用しなくなったのではなく、精神論が重視される箇所が狭まったと考える方が良いのだと思います。何に通用して何には通用しないかを判断できる目を養うことがマネージャーのリスキリングに重要なのだと思います。

2.残業をするなど長時間労働など目で見える努力で判断しがち

バブル時代には「24時間戦えますか」なんてCMが流れていて、今であればすぐに炎上ものかもしれませんが、これが当時の世相を反映していることも間違いありません。それには主に2つの点があるように思います。
一つは、1.でも伝えたようにそもそも仕事のボリュームが多かったことにあります。例えば営業は仕事が終われば会社に戻り報告書を作成する。管理部門は紙で大量に書類を作ったりさばかなければならないような状況です。今のように機械化やIT化して効率化を図る術がない中で単純に働く時間でカバーするしかありませんでした。
2つめは会社の制度的な問題です。昭和世代の終身雇用、年功序列が当たりまえの時代は転職も容易にはできません。ほんの数年前でも大手企業などでは中途採用で転職回数縛りがあったように、転職をすることはイコール落伍者でだった。その時代に生きていれば、社内で限られた椅子を奪い合う出世競争の中では、上司にいかに働いているかを示す方法は残業が最も簡単で能力がいらなかった方法だった。平成に入ると成果主義が導入されてきたが、成果は運の要素が大きく営業であれば数値で示せても内勤は数値で示せない、今であれば様々な数値を簡単にとれても一昔前は難しく唯一数値で示せるのは残業時間だけ。しかも成果主義と言いながら成果の応じて給与を上げ下げすることは歩合制でなければ法的に難しいだけでなく、給与総額を考えると成果だけでない指標で考課をしなければならない。つまり最終的には鉛筆なめなめになる。そうなると印象でしか評価をする術がないので、単純に残業していれば頑張っている人間だという単純な思考回路になってしまうのは仕方がないと思う。
現在のマネージャーはそのような昭和的な環境下でマネジメントされてきたので残業が最大の物差しとして評価されてきたのでそれ以外の評価方法を知らない場合が多い。今はっ様々な指標がデジタルを使って取れたとしても結局最終的な評価は印象なので、残業が簡単な指標になってしまっているままになってしまっているのだと思います。
働き方改革で厳しく残業を制限している昨今では残業の有無や時間をその人の頑張りの指標にするのは難しいのが現実です。他の指標を重視し補足(心象)として残業を見る程度にする方が良いと思います。

3.飲みにケーションを重要視する

昭和特にバブルの時代は飲み代がいくらでも経費で落とせた時代ですから、上司が部下に奢るのが簡単にできる時代では、仕事終わりに飲みに行き上司の威厳を示すのが当たり前の時代でした。終身雇用・年功序列の時代で、大手企業であれば社宅が普通の時代です。結婚すれば近くに住むことになるし、何なら上司はお見合結婚の仲人をしたり、結婚相手を紹介等していたので、上司は部下のプライベートを知っておくことも大事だし、酒の席でのこととしておくことで自分自身の弱さをさらけ出すことができる唯一の方法だったのだと思います。そのような時代に生きていれば会社以外の場所でお酒という少し気が大きくなるツールを使って本心を聞いておくという手法は非常に有効な方法だったわけです。その時代にマネジメントされた経験から、上司としての威厳やプライベートを知っておくことの重要性、お酒を飲むことでしか自分をさらけ出す方法を知らないので飲みにケーションが大事だと考えてしまうのです。昨今の若者の飲みにケーション離れを考えると、お酒の力を借りたコミュニケーションの在り方を見直す必要はあると思います。それは、お酒の力を使わず就業時間内でどれだけ上司自身が自分をさらけ出し部下の本音を引き出せるかが重要になってきているだけです。

4.家庭より仕事優先を好む

終身雇用・年功序列・社宅・お見合いの昭和世代のマネジメントでは、家庭をおろそかにしていても、周りで見てくれる人もいると考えるのが多かったし、男は働いて家族を養うのが当たり前、組織で頑張っていればそのうち給与も上がって退職金をもらえるのだから、家庭より仕事を重視する考え方になるのは当たり前だったわけです。上記でも説明した通りITもない時代は物理的に残業が当たり前ですからそもそも家庭優先で働くインセンティブは低かったわけです。その時代のマネジメントを受けた人からすれば、それが当たり前の姿として受け止めているので結果的に仕事優先でないことに違和感を感じるわけです。
しかし、今現在でも仕事をしている限り不測の事態は起こります。むしろ自然災害等も増えており、事業環境の変化も激しく世界を相手に働く環境があれば昔よりも突然仕事をしなければならない環境は増えているかもしれません。昔のように家族に対して何もせず仕事を優先していても許される環境がなくなっただけとも言えます。現代のビジネスパーソンとしては、上司や会社に頼らず自分自身で家族に対して仕事への理解を得る努力が必要になっただけだと思います。また会社や上司としても、家族に対して積極的に仕事に対する理解が得れるような機会を設ける必要があると思います。

5.役職や立場を使って言うことを聞かせようとする

終身雇用・年功序列の組織では特にこの意識が強いと思います。前項でも触れているように、組織の中での競争に勝つことが重要だった時代では役職は勝利の証であり自慢できるものだったし、周りもそれが当たり前だったと思います。しかし大手企業でも中途採用が当たり前になった現代においては、役職は単なる役割や、希望給与に合わせるために手当として必要だから役職が付いているだけのことも・・・。
実は役職は責任の所在を示す役割なだけなのですが、役職=偉い人という意識が上司部下共に存在するのが現実だと思います。時には必要な方法ではありますが、役職が上なだけで言う事を聞かせるなら、その役割に見合った責任を負わなければいけません。つまりしっかり役割に見合った責任をしっかりとることを示すのであれば有効な方法ともいえます。
しかし、役職を使っていう事を聞かせようとする上司に限って「誰の責任なんだ!」「責任はとれるんだろうな!」と言ったり、経営層との会議等で「これは〇〇がやったことなんです」なんて言ったりするのでこの方法を良くない方法だと考えている人が多いのが現実ではないでしょうか。

6.部下の育成より社内営業を重視

これも終身雇用・年功序列の名残ですね。日本では事前の社内調整が重要視されるので、社内営業をしっかりしたほうが企画や新しいことがしやすいのは事実です。特に評価や査定においては、直接見ていない部下を評価するわけですから、しっかり社内の経営層に部下をアピールするのは必要な行為だと思います。
単に問題なのは部下の育成と社内営業において社内営業を重視している部分だけだと思います。部下の育成のためには社内営業が必要ではありますが、あくまでも部下の育成が上に立つべきだと思います。

7.若い時に頑張れば報われると考えている

これも終身雇用・年功序列の名残です。確かにその制度にもとでは、退職までその会社に居続けられ、勤続年数と共に給与も上がっていくわけですから給与が低い若いうちに我慢していればよいという考えになるのはわかります。ただ、成果主義で転職が当たり前の時代であってもこの考えは通じることがあると思います。今は早いうちから高給取りになる人もいると思いますが、その人が何の努力もせずそうなったわけではありません。最近の若い人はコスパやタイパを重視し効率性を重視するようですが、この効率性は短期的な視点での考えだと思います。長期的視点に立てば一見無駄なようでも無駄でないことは沢山あります。昭和世代は基本的には長期視点でキャリアを考えているしかなかったのでこのような考えになっているだけだといえます。現代では短期的・長期的視点の両方から考える重要性が増しているのだと思います。

8.過去の自慢・武勇伝が好きで話が説教じみている

最近おじさん上司に対してよく言われることですね。先の読めない時代だと言われるので、過去の成功が通用しないと思われていることが嫌われる理由なんだと思います。でも、実際に今でも成功していて、尊敬する人の武勇伝は自慢話に聞こえないかもしれませんし、説教じみていると感じるのも相手を尊敬しているかどうかによって印象は変わるのではないでしょうか。
特に年功序列があった会社だと、勤続年数によって役職が付いている人もいるわけですからそう考えるようになっても不思議ではありません。
過去の成功の手法が現在では通用しないのはその通りだと思いますが通用しないのは手法だけであり、その成功の原点は実はあまり変わらないものだと思います。エジプト時代でも「最近の若い者は・・・」という言葉があったそうですが、人の根本はほとんど変わっていません。過去の成功体験から本質を探れば、今でも十分通用するものです。
過去の武勇伝を馬鹿にされるのは、今の状態が物語っているだけなので、常にスキルや知識を向上させていればそのように思われることはありませんし、そう思っている若者も常にスキルや知識・思考をブラッシュアップさせ続けなければ10年後には同じように思われるだけでしょう。

9.部下は上司の背中を見て育つものだと考えている

昭和世代に限らずこう考えている人は多いかもしれません。実際には部下は上司の背中はよく見ているものだと思います。昔は情報が少なく、転職もしないわけですから、見える背中はその会社の中にしかない物だったと思います。ただ、インターネットやSNSで様々な考えや人に触れることができる現代では、よほど部下が見たい背中でない限り良いイメージで背中を見てはくれません。だからこそまずは部下から参考にされるような背中になるように自分自身をブラッシュアップしていく事が大事です。また部下は勝手に育っていくものですが、自分自身の思いや考えを伝えていく為にはまずは自分の背中を見たいと思われる背中にしていかなければいけないのだと思います。

10.部下は上司の意図を汲み取るものだと思っている

これも終身雇用・年功序列の名残だと思います。同じ会社で生き残り出世競争に勝つための最大の方法は上司に気に入られる事だったと思います。そうすると上司の意図を汲み取り先回りして準備を行える能力が重視されます。
しかし現代では、その会社に一生いるとは限りませんし、少子高齢化のかで争う人も多くなく、出世が見込めないとわかれば転職という方法もあるので昔ほど出世競争という考えは少なくなっていると思います。だから上司に意図を汲み取ることを求められてもあまり価値を感じない人が多いのだと思います。ただ、実際に仕事のできる人と言うのは上司だけでなく組織や社会の意図を汲み取って行動できる人でしょう。また上司に気に入られて損なことはないわけですから意図を汲み取る能力は必要なことだと思います。
ただ、上司としては、何もしなくても部下とはそういう物だといういう考えは通用しない時代だという認識が大事でしょう。むしろ意図を汲み取ってもらえるほどの上司になっているかを自問自答することが大事ではないでしょうか。

最後に

昭和世代の上司のよくある現象を検証してみましたが、時代背景とそれに伴う経験からの行動に、現在の感覚から行くと少しずれることになっているのだと思います。終身雇用・年功序列・成果主義という大きな制度の中で生まれる人々の考え方とその時代を知らない世代のギャップに戸惑っているだけのように感じます。ただ、本質的な部分では今の世代にも十分通用する考え方だと思います。ただ、インターネットやSNSの普及で情報があふれている時代では、上司の側も同じ情報に触れ自身をブラッシュアップし続けないといけないことと、うわべの手法だけを考えてもう通用しないと考えるのではなく、本質的な部分をしっかり理解して現代に合わせて手法を変えるだけで良いのです。
つまり本質を探究し理解したうえで現代に和せてアレンジする能力こそが今求められている能力ではないかと思います。

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