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教育も、常識を塗り替えることも、途方もない時間と努力が必要だ。

映画『ドリームプラン』(KING RICHARD)のネタバレ全開感想です。
とても・・・とてもよかった~~~~~!!!!
スポ根のスの字もなかった。


・マイノリティ

という言葉に関連して本作を一言で表すならこうだ。
”黒人が、白人スポーツであるテニス界の門をくぐるストーリー”。
「窓じゃなく正門から堂々と入るんだ」というリチャードの言葉が印象的だった。

マイノリティがのし上がっていくストーリーは好き。なぜなら自分もマイノリティの自覚があるから。
「誰もが何かのマイノリティ」と言う言葉をいつか聞いたことがあって、ひどく安堵した覚えがある。

ただ、本作はもっとわかりやすくて、世界的にも世間的にもマイノリティとよく認識されている人達の物語なのだ。
だから、共感を覚える人も多いのではないかな。


・誰もが恐怖と闘っている

人物それぞれがきちんと迷い、悩み、葛藤し、闘い、戦い、人間くさかった。

リチャードは幼少期の原体験に対して、ポールやリックは前例を無視して失敗することに対して、オラシーンは我が子たちの心身の危険に対して。
種類は様々だけれど、成功の裏には莫大な恐怖や不安があったんだな。
ビーナスやセリーナ自身にもう少しスポットを当てる時間が長いと、また違った画になりそうだ。
成功者の裏側をこんなに緻密に描いている作品は他にもあるんだろうか。

個人的にはリックの功績にMVPを贈りたい。だって経済的に支えてたのは彼でしょう。
前提として、誰一人欠けたとしてもこのストーリーは成り立たなかったと思う。
けれど、指導者として優秀なリックがあたふたしつつウィリアムズ一家に巻き込まれていく姿は推せますね。つまり性癖に刺さる。


・教育の大切さ

リチャードは「慎重さ」「信念」の強い人。
ゆえに成功もそして失敗もするけれど、「テニス以外の力も同じくらい重視すること」は、長期的にみて正しいと私も思う。

あの時代によくそんな先進的な考え方を…と、彼らと同じ1980年代ごろをスポ根とともに歩んだJAPANに思いを馳せた。

その信念の根源には彼自身の原体験からくる怯えや恐怖があるから、
時に行きすぎたり方向を見誤ってしまったりもする。順風満帆ではないのだ。

例えば、エージェント並みにあの手この手で我が子を営業するし、顧客に衝撃的なプレゼンもする。パートナーと何度も協力し何度も衝突する。理不尽な暴力には理不尽な暴力で返すしかない環境にいる。

けれども、それらを全て吹き飛ばすくらい、
自分の受けた悪を後世に引き継がせない努力が凄まじかった。
父親から守ってもらえなかった自分を救う行為でもあったのかな。

結果的に彼の子ども達は「テニスで1位になること以上に後進の育成が大切」と発言する大人になっている。


・コミュニケーションって大事

一人一人を大切にする作品というか、リチャード自身がそういう人なんだろうなと。
コミュニケーションの取り方を見ていてそう思った。

例えばセリーナにプロへのチャンスを告白するシーン。

半分くらい言い訳だったかもしれないけれど、
子どもと向き合って信頼関係を作ったうえで性格をおさえているからこそ、彼女も父親について行ったのだと思う。

まあオラシーンには、前妻がらみの愚痴とかぼっこぼこに言われて
「子どもの夢を見届けたいからいるの。あんただけならとっくに別れてたわ!(うろおぼえ意訳)」
とK.Oに近い言葉を投げられちゃうんだけど。
でも、冒頭からずーっと、お互いに言いたいことを伝えあっていていい夫婦だなと感じていた。
オラシーン達みたいに、間違いを指摘してくれる周りの人は大切にしようと自省。

ちなみに、リチャードがリックと、ビーナスをプロデビューさせる時期で衝突するシーンが好き。彼の謙虚さとユーモアさが垣間見えるんだよなあ。
他人に嫌味を言われた後、その人を持ち上げて会話終了させるとか…なかなか真似できない。


・映画というコンテンツならではの話

「そして3年後」を映像でああ表現するんだ…!
他のシーンを挟んで徐々に場面転換する映画が多いような気がするので、自分の中では斬新だった。(映画よりマンガ派だからかもしれない)

カメラワークや演出も勉強になった。
例えば、試合後のゼロ100対比。試合後、観衆ゼロのスタジアムを後にして門を出ると、過密と熱狂に満ちたオーディエンスが。
絵的にとてもわかりやすいし、彼女たちの10年間をと今後を祝福するセレモニーのようだった。
予想も期待もしていたシーン、2時間半のなかで最も泣いた。

他にも、ビーナスがプロデビューすると決めたシーンも。
キャッチボールしながら対話的なことを予想していたら見事に裏切られた。
ビーナスはもう十分に強いし、考えるための頭を持っているし、それらを支えたのは他でもないリチャード(達)なんだよな。

結局、ネットをはさんで対話するわけだけど、話し終えて歩いてゆく二人の構図が面白い。
ネットの端から二人を映していて、娘と父との間にある境界線を表しているようだった。
ビーナスは精神的に自立しつつあり、リチャードはそこを侵害はできないのだと暗示するようで。「しつつあり」というのは、やはり完璧に自立しているわけではなく、大人の手助けは必要だという意味。
でも確実に成長していて、だからこそビーナスとリチャードはあのタイミングでぶつかったんだろうなと思うのです。


・そっくり中のそっくり

俳優さんのビジュアルがご本人達とあまりにも瓜二つだった。

例えば、ウィルスミス主演とわかって観に行ったはずなのに、エンドロールで名前を見て
「あ、ウィル・スミス!?いやいや、そうだった」と衝撃を受けた。

エンディングで使われた実際の(80年代当時の)写真や映像をみて
「あれ?冒頭シーンの振り返り?」と最初は本気で思った。
ご本人たちがそのまま役者を務めたと主張しても通るのでは。


久々に、もう1度見に行きたいと思える作品でした!

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