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『これって本当に「繊細さん」?と思ったら読む本』(武田友紀、名越康文)

ようやく読了したので、気づきをまとめます。

前半では特に、繊細さとキャリアについてのヒントを多く得られました。そこから派生して、どうすればより良く生きていけるのか?についても知ることができました。

後半は、精神医学やカウンセリングの専門的な内容もふまえた内容でした。読み進めるのにわりとパワーが必要でしたが、その分、得るものも多かったと感じます。


繊細さとキャリア


まず、 職場環境が合うかどうかは、非繊細さんよりも相当影響を受けやすいのだなと再確認しました。これは自分が特別という意識ではなくて、あくまで、HSPという気質を冷静に受け止めた末の結論です。
武田先生のように、フリーランスで働くことが自分にも合うのかどうかは分かりません。しかし、彼女のキャリアに対する言葉1つ1つに大きく共感しましたし、励まされました。

会社員の時よりも長時間働きましたが、 それでも気持ちは全然楽だし、 充実しているんですよね。 身体は疲れても心は元気なんです。

自分がやりたいサービスを作って、それをお客様に買ってもらうのは、「あなたのその考え、 いいね。 その感覚、 いいね」って、目に見える形で 感性を肯定される体験だったんです。

労働時間が何時間かも大事ですけど、その時間に心を削られているのか、 生き生きしているのかで、心の健康度は全然ちがってきますよね。

(全て本書より)

きっと、あらゆる仕事に共通するのではないでしょうか。

繊細さをポジティブに活かすにはどうしたらいいかというヒントも得ました。武田先生の著書はだいたい読んでいますが、以下は、かなり具体的だなと思った一節。

例えば、深く考える分 効率的なやり方を編み出したり、営業の方であれば、相手のニーズを汲み取り、あらかじめ必要な情報を用意しておくなど、きめ細やかなフォローで顧客からの信頼が厚い。 

(本書より)


繊細さを生かして生きていく


もう少し枠を広げて、生き方に関しての気づきで言えば、まず、身体感覚に関する話が大変興味深かったです。

スマホやパソコンを見ている間中、頭と体の経験が一致しない状態が続いていて、これは結構負担だなと思うんです。こうした時に料理や裁縫などの手仕事をすると、頭と体が一致して感覚が戻ってくるように思います。

(本書より)

デジタルやらブルーライトやら、油断するとつい刺激過多の日常になっちゃうぜ…と日々感じていましたが、自分の行っていた対処法はある程度的を射ていたんだなと思い、嬉しくなりました。スマホ断食だったり、あえて紙の本で読書したり、多少手間がかかっても料理をしたり、少し不便だけどあえて歩いてみたり。


トラウマを抱えながら生きていく


以前、鬼滅の刃がなぜここまでヒットしたのかを名越先生なりに分析している動画を見て、衝撃を受けた記憶があります。
「そうか、トラウマって踏み越えて行っていいんだ。何らかの対処が必要なんだろうなと思っていたけど、まさか、乗り越えるのではなく踏み越えていくなんて…!」
驚きましたが、 個人的には、とてもいい方法だなと思いました。本書でこの話が出てきて、大切なことを再確認でき良かったです。
ちなみに、武田先生の「親とつながれない代わりに、人の心が反映されている物語の世界を心のよりどころにしていた」というエピソードに大変共感しました。
私は昔からアニメや漫画が好きでしたが、単なる趣味というより、救いだったのだなあ…と、ずいぶん後になって気づきました。今も好きですが、当時ほど熱狂的ではありません。働き始めた頃から徐々にその感覚が出てきました。暇が少ないのは差し引いても、それこそ、救いを得て、自立していったのかもしれません。
しんどくて、たまに救いを求めることもありますが、今は救いと自覚していますし、人間らしくて良いなあと愛しく感じます。


救いとは、自立である


カウンセリングだけではなく、あらゆる「救い」に共通すると感じたこと。それは、最初はその人に頼っていたとしても、最終的には、救ってくれる人の価値観の外に出ることが必要だということです。そうして初めて、本当の意味で、救われるのだなと。
目的はあくまで 自立して生きること。名越先生のおっしゃっていた、カウンセリングの途中でふっと来なくなり、再会したときには対等な関係として戻ってくるクライアントのお話はとても印象的でした。 


続・「身体感覚」


前半で出てきた「身体感覚」について、更に深ぼりがなされていました。日ごろ、各種発信でお世話になっている樺沢先生よろしく、身体の状態とメンタルは本当に、本当に、密接につながっている…‼‼‼と私も感じます。ちなみに、マコなり社長も同じことを発信していました。シンクロニシティ!

病気と正常というのは 人間が引いた 国境線みたいなもの。もちろん 分けた方が合理的で都合がいいけれども、その限定的な時期に不都合なものを病気と呼んでいるだけ

(本書より)

名越先生って本当に、精神科医を名乗ったお坊さんだよなあとたびたび思います。
ただ、病気を運命的にとらえるのは、TPOによるなあと思いました。たいていは受け入れられるんですが、やっぱり、痛い怖いしんどい…などはなるべく避けたい。そのためにも、そもそも、身体感覚につねに敏感でいます。


トラウマに対する考え方が少し変わった


私自身は、『嫌われる勇気』を読んで以来、トラウマは存在しないと考えて生きているタイプです。というか、そこに執着して身動きとれなくなるのが嫌なので、過去ではなく今にフォーカスして生きています。
本書ではトラウマを、「過去に遭遇した危険に敏感になるということであり、経験から学んでいるということであり、 良し悪しはそこになく、動物として ごく自然な反応なのである」ととらえていました。
そんなに悪いものではないんだな。少なくとも、良い悪いとという、評価をする対象ではないんだなと思えました。 


タッチセラピー


武田先生の言っていたタッチセラピーに興味が湧きました。
セラピーを受け始めてから、人間の神経系における「逃げる・ 戦う(過覚醒)」「社会交流(落ち着いた程よい覚醒状態)」「 固まる(低覚醒)」という3つのモードのうち、2つ目のモードに長くいられるようになったそうです。 私も、ゼロ百思考の軟化に役立てたいな。


協働調整、音楽や歌における「治療」の側面


協働調整という言葉を初めて聞いた。野口整体の感応技法は、施す人と受ける人との体がシンクロするということだよね。機会があれば受けてみたい。
音楽に救われた的な話は古今東西で言われているし、自身を振り返ってみてもそうだし、つい最近も経験した。けれども、音や声の強弱、 震え、 波長によって協働調整が起こっている可能性は初めて聞きました。わくわくした。(そういえば、音楽療法の話も先日聞いたばかり。シンクロニシティ!)


他者とつながる経験が心を支える。「つながる」とは、共同体感覚を持つこと。


自分の常識は無敵である」ーー個人的に、この本における一番のパワーワードでした。名越先生~!
ウチの常識はヨソの非常識。いくら意識していても、人は、自分の枠組みで他者の話をとらえようとしてしまう。その前提を、今回、自分の中に落とし込めて良かったです。
 
私も武田先生と同じで、カウンセリングって、しっかりと寄り添い共感をフル活用して行うものだと思っていました。ただ、名越先生の、ピッチャーとキャッチャーみたいな「畏敬の念」を持った距離感も、ありだなと感じました。 他者の立ち位置なんだけれど、確かに理解し合える。
もしかしたら、カウンセリングというよりも、日常における理想の人間関係のイメージなのかもしれません。


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