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『SNSの哲学:リアルとオンラインのあいだ』感想

承認欲求つよつよの自分をなんとかコントロールしたくて手に取った一冊。

もともと私は、相手に期待通りに動いてほしい!自分のリアルの発言からSNSまですべてを承認してほしい!という思いが強かったです。極端なのはわかっていても、本音はそんな感じ。

タイムラインをみて他者を理解することにも努めていましたが、孤独さが常につきまとっていました。「つぶやき」を投稿しているのだし、相手はきっと本音を書いているはずなのに、本音トークは大好物なのに・・・。大切な人や、好きなことに触れているのに、それを眺める自分はただただ孤独でした。

そんなSNSを眺めていると、頻繁に「炎上」に遭遇します。私はいつも、文字だけでなにかを伝えるには限界があるし、ましてや1対∞くらいの構図になるケースも多々あるから、頻繁に起きているのかなととらえていました。きっと対面ならもう少し、なんか上手いこと解決に向かうのではと、漠然と思っていました。

そして、SNSを含めた近年のインターネット全般に対して、「コントロールされている」と強く感じていました。本屋や図書館と、SNS上だと、出会う本の種類が違うな。時計を通販で買った後から、やたら時計のバナー広告を見かける気がする。そういえばこの人をフォローしているのを忘れていた…タイムラインに最近表示されないからか。以前から見え隠れしていた鎖が、いまや一人に千本つながれている心地です。

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本書を読んでみて、まず、「相手が自由でなければ、承認欲求は満たされない」という文に、頭を殴られたようでした。互いに相手を道具扱いせず、自由を認め合う「相互承認」こそ理想なのだと。言葉にすれば、そりゃそうだ基本のキだわと大納得でした。しかし、だからこそ忘れやすく、これは何度でも見返したい言葉です。誠実、対等、率直、自己責任を基本とした人間関係を築いていくよう心がけます。

次に、タイムラインには物質性がありません。手で触れないし、経年劣化もしません。ゆえに、そこには「時間」が存在していないのです。私たちは、時間の共有によって互いの関係を深めていくと思います。時間が存在しない限り、たとえ相手の状況がわかろうとも、ただ眺めるだけでは、孤独が増すだけだなのだなとわかりました。
また、「つぶやき」は確かに、誰に宛てたものでもなさそうに見えます。しかし、それを意図的に行っている場合もあり、エアリプがその一例ですね。それでいて無責任さ・軽さもあります。

哲学者のウィトゲンシュタインによれば、感覚と言葉はリンクしません。ただ、ルールに合った言葉を発しているだけのです。相手がどんな人で、今いる環境がどうで・・・など色々と考慮して、自分のとる行動をコントロールしているんですね。例えば、紙で指を切ったとして、友達とカフェで過ごしている時なら「痛っ」とつぶやくでしょう。一方で、重要なプレゼンの真っ最中に同じことが起これば、痛みはあっても、なにも言葉に出さないはず。
X(旧Twitter)でのコミュニケーションは、複雑なルールのもと行われているのだそうです。文脈や背景がわかりづらい、主語やターゲットが不明確。そういったつぶやきに溢れています。だからこそ、炎上が起こりやすいのだと。

最後に、アルゴリズムに支配されたSNSおよびインターネットでは、偶然性が排除されています。本書でそう言語化されているのを見て初めて、誰にコントロールされているのかよくわかりました。

AIがどんどん日常に入り込んできていますし、性能の向上もふくめ不可逆です。だからこそ、プランド・ハップンスタンスを胸に、試行錯誤しながら生きていく。私はそうありたいです。
思考はなるべくAIに任せて、1つでも多くのやりたいことをやって、身体性を心の底から楽しみ尽くします!

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