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[E]私はあなたの顔を知らないし、あなたも私の顔を知らない。



昨年の11月から現在にかけて、環境の変化が多くありました。初めての人にたくさん出会い、そしてお別れしました。休業した職場に戻るにはまだ時間がかかる、と職探しを余儀なくされました。

こんな状況下でも運良く仕事には困らず、なんとか忙しい日々をぬっては学校生活と本当にやりたいことのための仕事の準備も着々と進めていますが、転職時の面接で果たして人事担当の方に自分の顔を覚えてもらえるのだろうか?という疑問と不安を感じました。



判断されるのは言葉と声と手振り

というのも、実際に今日そのように思った瞬間があったのです。現在の勤め先は、コロナウイルス真っ只中に面接をさせてもらったため、私の顔や表情を判断するのは履歴書に貼ってある40×30mmの小さい証明写真のみでした。質問する側もされる側も感情は見えづらく、合否の判断基準が曖昧だなあ、とも思っていましたが、声色と身振り手振り、また気持ちで乗り切りました。

そして一緒に働く人たちは、お互いの顔を知らぬまま軽く自己紹介をして、一緒に仕事をして、顔の知らない相手を知っていくのです。きっと年内は職場にかかわらず、ほとんどの相手の顔を知らないまま会話を交わすことでしょう。



職場:今まで話していた人はその人じゃない

ここ3ヶ月に職場で出会った人とは、目元と声だけで勝手に相手の顔をイメージしながら話をしてきましたが、毎日一緒に仕事をしていれば、マスクを外す瞬間に相手の顔を知ることが増えてきます。昼食時や休憩の際にお茶を飲む時など。

そしてタイムリーな今日という日、相手の顔を初めて見た時イメージと覆されました。他の方も必ずイメージと異なるのです。脳は勝手に相手のイメージを創りあげます。それが良くないのですが、やはりマスクだけでは顔の判断がつかないので、声と仕草でなんとなく相手の顔のイメージや性格を掴むのです。

相手の顔を知った瞬間、今まで世間話をしていた相手とはまた別の人と話しているかのような衝撃を受けます。これが最近私の身によく起こる出来事です。今後もその連続だと思います。



学校:みんな有名人

学校での出会い方はまた少し違いました。初めて生徒同士が顔合わせをしたのはオンライン授業での画面越しです。実際に通学するようになり、「あの人部屋の壁紙めっちゃお洒落だった人だ。」とか「あの人授業中なのにヨーグルト食べてた人だ。」という面白さと発見がありました。

教室で生徒同士が会うのもマスク越しではありますが、実際に画面越しで見ていた他の生徒の方を目の前にした時、なぜか心が弾みました。まるでテレビの画面越しでよく見る有名人に出会ったかのような感覚に陥るのです。



思いやりが生まれる良い機会

このように皆マスクをしており、相手の目元のみで顔をイメージします。目元に加え、声と雰囲気で相手の表情を読み取ろうとするため、きっとこの短期間でかなりの観察力と洞察力が身に付いたことでしょう。声のトーンや大きさなども気にしながら話をしないと誤解を招きかねないので、自分のコミュニケーション方法や表現の仕方も見直すきっかけになり、相手への思いやりの気持ちも生まれるでしょう。



まとめ

そんなことで、今の世の中相手の顔をよく知らないまま時間を共にしており、皆少しだけ窮屈な生活を送っていると思います。少し身近に例えると、ネットの世界が少し現実化されたような感じです。(ネットやSNSでも相手の顔をよく知らずに会話するのは今じゃ当たり前の世界なので。)

相手の表情や気持ちが分からず、うまくコミュニケーションが取れない時もあると思います。しかしその分、お互いに伝わりやすい話し方や表現方法を身につけ、理解し合う努力や思いやりが備わるのではないかと感じた今日この頃でした。

最後まで読んでいただき大変恐縮です。堅苦しい記事が多いですが今後も前向きな記事を書いていきますのでどうぞご贔屓にお願い致します🤲🏻少しでもあなたがプラス思考へ導けるよう私もサポートさせてください。