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文化の違いって難しすぎ 【第二章】

Hello! :)

海外生活9年(アメリカ6年、メキシコ3年)現在メキシコシティ在住のTomokiです。

今日は、前の記事「第一章〜ドラッグディーラーに僕が買ったビールを飲まれ続ける話〜」の、第二章を書きます。

第一章の話で学んだことを試したら痛い目をみた、、文化の違いとは本当に難しい、、という話です。

舞台はアメリカロサンゼルス付近。僕がまた別の家でハウスシェアをしていた時の話です。

大学から徒歩5分の場所にある、住んでいる人が全員同じ大学の家。
僕を含めて4人で住んでいました。

その中の一人が、アブドゥーラというサウジアラビア人の男のルームメイトでした。

アブドゥーラは本当に良い人。ただただ優しい。
家に帰ると、いつも仲良く話をしていました。

でも事件は起きます。

〜序章〜

ある日無性にピザが食べたくなった。

大学の友達を呼んで、お互いの家付近で何かを食べることにした。

授業後で開放的になっていたということもあり、大学生にとっては少しお高いPizzaRevというところに行くことになった。

PizzaRevとは、SUBWAYのように目の前にトッピングが山ほどあって、自分で好きなもの選び、最後にその場で石窯でピザを焼いてくれる、というファストフード店。

自分オリジナルのピザなので、最高に美味しい。

一人一枚のピザを頼み、食べきれずに余ったピザは家に持ち帰って、次の日の朝ごはんにする、という、これこそ大学生!的なことをすることにした。

食べ終わってから少しだけだべって、そのまま家に帰った。

そして余ったピザを冷蔵庫に入れて、眠りに就いた。

〜事の発端〜

次の日の朝、楽しみにしていたPizzaRevのピザを食べようと、冷蔵庫を開けた。

すると、ピザが無くなっていた。

酔っ払っていたわけでもなかったので、昨日冷蔵庫に入れたことは確実に覚えている。

でも、無い。

これはおかしいと思い、ルームメイト達に聞いてみた。

その時は、流石に間違えてゴミに出してしまったとか、そんなことだろうな、と思っていた。

しかし、アブドゥーラの一言で、全てが間違っていたと分かった。

「あぁ〜昨日の夜食に食べたよ。」

一瞬だけ信じられなかった。

ルームメイトであったとしても、人の食べかけの食べ物を食べるなんて、考えられなかった。

でもこの時の僕は、第一章で書いたフランシスコとのことを経験して、大人になっていた。

これはもう言うしかない、と思い、しかも今回は少し怒るスタンスでいってみた。

〜気持ちを伝える〜

「なんで人の食べ物を食べるの?」
「あれはおれが持ち帰ってきたピザだよ。おかしいでしょ。」

これは流石に怒ってもいい場面だよね?と思い、少し強めに気持ちを伝えてみた。

フランシスコの件では、気持ちを言わないがために事が大きくなってしまったので、今回はその場で全部言おうと思い、言った。

そうすると、アブドゥーラから「ごめん」と、謝罪があった。

「あーよかった。分かってくれた。」と安心した。

しかし、その後の一言が大事な教訓となった。

「でもサウジアラビアではこれは普通なんだよ。」

・・・これは、、悪い予感。

そう言えば、僕が今アブドゥーラに言ったことは、アメリカ文化のことだった・・・。ずっと英語で話していたので、相手がサウジアラビア人だということを完全に忘れていた。

恐る恐る話を聞いてみた。

「サウジアラビアでは家族は本当に大切なもので、何でもシェアするんだよね。冷蔵庫の中の物も同じ。むしろ食べ物こそ、家族内ではみんなでシェアするんだよ。Tomokiはめっちゃいいルームメイトで、おれにとっては家族同様なんだよね。だから本当の家族みたいに扱っちゃった。もし傷ついたりしたら本当にごめん。」

これは・・・完全にやってしまった。

今日の教訓

同じ文化で育った人とのコミュニケーションであれば、同じ常識を持っているはずなので、ここまで話難しくなることは少ないと思います。

でも、相手が自分とは全く違う文化で育った人である場合、そもそもの常識が違います。自分が良いと思っていることが相手にとっては真逆の悪いことであったり、その逆も然り、ということです。自分の常識は通用しません。

この状況で自分の文化や価値観を相手に押し付けることは、NGです。

しかも今回の場合、日本人である僕がサウジアラビア人のアブドゥーラにアメリカ文化を押し付ける、という訳の分からない構図でした。

ちなみにアメリカ人の話ですが、彼らは、相手に自分の文化や価値観を押し付けないようにすることが、とても上手です。色んな民族がいる中で、各個人全く違う価値観を持っている、という大前提をみんなが持っているので、「自分は自分、他人は他人」という考えが、しっかりと根付いています。
(もしかしたらこれがアメリカの「自由」に繋がっているのかもしれません。)

そのため、話をしていてもとても面白いです。
ヒートアップした議論をしたとしても、喧嘩ではなく、意見交換をしている感じなので、「俺はこういう考えだけど、お前はまた違った考えを持っているんだね。」という結論に至ります。
この結論がベースとしてあると何がいいかと言うと、自分の意見をはっきりと言えることです。「異なる意見=相手を否定すること」とはならないので、思う存分に自分を表現できます。

そして文化の違いをたっぷりと話したところで、今日の教訓。

「何があってもまずは相手に優しく接する」ということ。

上でお話した通りですが、相手がどんな常識の上で話をしているか分からない段階で熱くなってしまうと、物事を解決できなくなりますし、その人との関係も悪化します。人間関係が悪化して良いことなんて、どんな人であっても、あまりありません。
そもそも、相手は悪い意図すら持っていないかもしれません。

もちろん怒るなとは言っていません。怒るのであれば、相手の意見をちゃんと聞いて、しっかりと理解した上で、それでも本当に納得できないことがあれば怒ってみる、とするといいんじゃないか、ということです。

これは同じ日本人同士であっても、同じことを意識すると良いと思います。
同じ文化内で育ったとしても、境遇が全く違う場合は多々あるはず。人それぞれ違う価値観を持っているということです。

相手の意見を尊重しながら、自分の意見も言う、ということが一番大切だと思います。


・・・ちなみにこの後に起きた話。
アブドゥーラとはちゃんと話し合いをし、お互いが誤解していたことを、分かり合うことができました。
そして和解の印として、アブドゥーラが米の上にヨーグルトをのせたようなご飯を作ってくれました。
一口食べてみて、「これは無理・・・」と思ったのですが、「もらったご飯を残すことは無礼極まりない」みたいな文化があったらどうしよう、と頭によぎった僕は、苦しみながらも全て完食しました。


以上、ここまで読んで下さった方、ありがとうございます!!
これからも海外での経験談など話していくので、これからもよろしくです!

Bye :)









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