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人は自分にとって都合の良い解釈しかしない。自己都合(被害妄想、敵意帰属バイアス、疲労)


始めに言っておきますがこれも私の自己都合の解釈であることをご理解いただきながらお読みください

誰が悪いわけでもない


自分のせいにする人や会社や他人、何かの出来事のせいにする人、いろんな人がいますがどれもその方が自分に都合がいいからそう思うんです
事実と異なる場合も勝手にそうだと思いそれが事実だと決めつけてしまう、それは「悪い」ということではなくただ単純に「みんな」自然と「そう」なだけです

しかし個人なら問題ないことも相容れない複数の人間になれば話は変わります
少し話が大きくなるかもしれませんが「正義」と「悪」って誰が決めますか?正義側ですか?悪側ですか?それともそれ以外の傍観者ですか?

実はこれ正解はないんです。誰もが正義だと信じ間違ってないと思うからこそぶつかるんです。

これは「悪い」ことでしょうか?

ちなみに「正義の定義」は「平等の実現」だそうです。マイケルサンデルの「正義の授業」か、アドラー心理学を引用している「嫌われる勇気」のどっちか忘れたけど読んでください
内容については他の方のnoteを引用させてもらいます
ちゅるぱんさん『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』

むちさん【超名著】 『嫌われる勇気』を読もう

大切なことは他人の思想や考え方に「強引」に踏み込まないことです。他人に人は変えられません。変えられるのはその人自身で気づき行動した本人のみです。



正直自分のせいにする人も自分以外の人のせいにする人も面倒くさい人


しかし残念ながら世の中は「自分か自分以外の人のせいにする人」がほとんどです


じゃああなたはどうなの?と思ったそこのあなた

幸せになるチャンスです!

どちらを選んでもマイナスならどちらも選ばなければいい!


いやいや、そんなことできるわけないやん、その二つ以外に何があんのよ!と思ったあなた!!そんな小さな考えでは幸せが逃げていきますよ!笑



選択肢がないなら作ればいいんです(出口がないなら作るまでよ!by鋼の錬金術師)


その問の答えは
「どうしようもないもののせいにする」です^ ^

もしくは目に見えない物や架空の物、過去や未来の何かのせいにしちゃえばいいんです

私はイライラしたり、他人の事で時間を奪われることが嫌いです。なぜならそれは自分の人生に必要ない要素だからです

イライラすることで主が「自分」ではなく「他人」になってしまい、やりたいことがやれなくなってしまい無駄な事に時間を使う事になります。
なので基本的にイライラしない様に心がけています。豊かな人生を送るには主体的である必要があります

しかしながら社会で生きていく為には他者との共存は必要不可欠です。(最近はリモートワークが増えていて家から出ない人が増えていてとてつもなく羨ましい今日この頃ですが、、、笑)


自分自身が感情に左右されることも嫌いですが、社会にいる以上はイライラしたり人のせいにする人とも一緒に仕事をしなければなりません、非常に面倒くさいことです、しかし「しょうがない」じゃないですか、社会の中で会社に所属して生きてるんだもの


人に当たり散らしたり、よくわからない論理で攻撃してくる人に対して私は真に受けません。そんな感情的になってる人とそもそもまともに会話や対話なんてできませんからね。そんな時私はこう思います


この人きっと疲れてるんだろうな〜、可哀想、、、

ちなみに家庭がある人なら尚更そう思います。独り身じゃない人は少なからず独り身の人よりストレスありますからね。でも独り身だからって悩みが無いわけじゃないですから独り身だからって幸せに暮らしてるって皮肉に思わないでほしい


そして相手に


「そんなことないですよ〜(^^)◯◯さんきっと疲れてるんですよ〜」と伝えます


そう言われると相手も冷静になって落ち着いて話せる雰囲気になります。ですが、その時点ではまだ話はしません


しかも相手も


(あぁ俺(私)疲れてるのか。そうかも確かにこんなに怒るようなことじゃないよな、、、)と大体の大人なら思います。(たまにそうじゃない人もいますが泣)


感情的になっている時(自分も相手も)は「疲れ」のせいにするといいです。だってメンタル的な疲れとかは目に見えないし疲れのせいにすれば誰のせいでもないですから



疲れ→自己都合による被害妄想→敵意帰属バイアス→修復不可能


疲れている人は、感情的になったりイライラしたりする人がほとんどです。多分これは間違いないです

そして疲労はマイナス思考を作りやすいです

マイナス思考による被害妄想が炸裂して自分や他人のせいにし始めます(ちなみにどちらのせいにするかは自分にとって都合のいい解釈をします)

ここで疲れてるとか別の「何か」のせいにできると現状回復できますが、自分か他人のせいにし始めるとマイナス思考のスパイラルは止まりません

こうなった人には何を言っても通じません。なぜなら自分の都合の良い解釈しかできないからです。

そんな相手に何か言えばマイナス思考に火をつけます
ちなみに相手のせいにしている人はこちらに敵意を持っていますから丁寧に言葉を選んだとしてもバカにしているなどマイナスのバイアスがかかりさらに激昂して止められなくなります。これが「敵意帰属バイアス」です。敵意を持ってしまっている相手にはどんな言葉も通じません


全てをネガティブに、マイナスに、延々とスパイラルを繰り返します、被害妄想の始まりです

これはもう個人間では修復不可能です
第三者の介入による対話、解決が必要になります

つまりそっとしておく=どうしようもない別の何かのせいにする=疲労のせいにしてしまう


問題が起きたときどうするか


こういうと「問題は解決してない」という人もいますがそうでしょうか?


そもそも問題が問題だったかどうかすらも怪しいです

それに当事者同士以外の人の判断は忖度(第三者にとって都合のいいほう)を含みます


それに問題が起きた時大切なのは「じゃあこれからどうするか?」です。犯人探しや原因の追求は最初にやるべき事ではないと思います


最後に


結局人間は自分にとって都合のいいように物事を捉えます。ですからどうせ都合のいいように考えるなら「ポジティブ」に誰のせいにもしない(自分のせいすらも)で都合よく考えましょう


でもまぁ結局これも幸せに生きたいと願う私の自己都合なんですけど笑


と、今日はこの辺で、ではまた!

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