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ぼくと、サムライベビーシッター

火曜と木曜のアサコさん

毎週火曜と木曜は、アサコさんのお迎えだ。いつも午後6時半ごろに、電車で1時間くらいかけて、保育園まで来てくれる。2歳になる前からずっとなので、先生たちは「シッターさん」ではなく名字で呼ぶし、お友だちのママ、パパとも仲がいい。「家族のつぎに近い、親せきみたいな感じだね」とパパは言う。

うちにかえると、一緒に手を洗う。おふろのスイッチを入れるのは、ぼく。そのあと、天才てれびくんと忍たま乱太郎を見ているうちに、アサコさんのご飯ができる。おいしいご飯をモリモリ食べて、ちょっと遊んで、おしゃべりしているうちに8時。おふろの時間だ。

おふろのヒミツ

ぼくがアサコさんのお迎えを楽しみにしているワケは、じつは、おふろタイムにたっぷりユーチューブキッズを見られるからだ。アサコさんは濡れないように、服を脱ぐところに立って、ぼくがユーチューブキッズを見ながら、ゆぶねで温まるのを見守ってくれる。シャンプーとか体を洗ったりするのも手伝ってもらうよ。

それで、おふろからあがったころに、パパかママが帰ってくる。ボトルマンや将棋でせっかく勝ってるときにママが帰ってくると「えーなんで早すぎる!」とか言っちゃうんだ。えへへ。

ぎっくり腰ってなに?

「ぎっくり腰のようで…」
アサコさんからお休みの連絡があったのは、1月の土曜日だった。ママとパパが「寒いですから、無理せずゆっくり治してください」と返事するのを、ぼくも見ていた。ぎっくり腰って、なに?ぼく、はじめて知ったよ。

10日くらいたって、「明日はうかがえます」とLINEが来て、ぼくはとてもうれしかった。木曜日の6時半、保育園の入り口にアサコさんが見えると、大きな声で「ぎっくり腰だいじょうぶ~?」と叫んだ。それを聞いた先生や、お友だちのパパさんも「だいじょうぶですか?」と声をかけた。

ぼくが、マンションの鍵を開けたり、エレベーターの乗り降りをアサコさんにゆずったりしたら、アサコさんは「レディファーストで優しいです」とレポートに書いてくれた。

突然の交代

次の火曜日はアサコさんと、アサコさんのお母さんも一緒にお迎えにきて、本当を言うと、ぼくはちょっとびっくりした。アサコさんはまた腰が痛くなって、保育園の階段を上るのがキビシイからお母さんに頼んだらしい。とても痛そうで、なんだか、急にやせちゃったみたいに感じた。

この日はいつもより早くママが帰ってきて、アサコさんたちと交代。おふろの途中だったので、ユーチューブキッズはちょっとしか見られなかった。

アサコさんに会ったのは、この日が最後になった。

スマホ見て「えっ」

2月の半分がすぎたころ、保育園からの帰り道で急に、ママがスマホを見て「えっ」と声を出したあと、しばらく何もしゃべらなくなった。どうしたの?って聞いたけど教えてくれない。家に帰ってご飯を食べて、落ちついたところでようやく話してくれた。

「あのね、アサコさんは天国に行きました。さっき、娘さんから連絡があったよ。じつは2020年の秋から、ガンていう病気と闘っていたんだって」

「死んじゃったってこと?」
ママにきいた。
「うん」と答えたママと一緒に、少し泣いた。

次の日、保育園で先生に報告した。先生もびっくりしていた。でも、ちょっとぼくはよく分からなくて、次の日くらいに「アサコさん、来週は来られる?」ってママに聞いちゃった。ママは困ったような顔をした。そうか。

アサコさんはもう、お迎えに来られない。もう会えない。

アサコさんは信じていた

ママがLINEしたり、電話したり、娘さんから聞いたことをぼくにも教えてくれた。ガンが見つかったとき、お医者さんは「延命治療しかできません」と言ったんだって。でもアサコさんは治ると信じていた。

だって去年、保育士さんの試験に合格したんだよ。ピアノの練習をがんばっていたこと、ぼくも知ってる。アサコさんと年が近いママは、「大人になってから、新しいことに挑戦するのは、本当にすごいことなんだよ」と言っていた。ソンケイしてるんだって。

子どもたちの笑顔を見ることが生きがいだからと、娘さんたち家族をセットクして、シッターさんの仕事を続けてきた。そういえば、アサコさんの髪がいつもと違うなぁと思ったことがある。ウィッグって言うらしいんだけど。

サムライみたいな生き方

ママとパパも気づいたけど、おしゃれ用のウイッグもあるし、がんサバイバーといって、治療を乗り越えて元気に暮らしている人たちも多いらしい。だからぼくたちは本当に信じてたんだ。暖かくなるころには、きっとぎっくり腰も治るはず。「3月になったらアサコさんに会えるかな」。ぼくはとても楽しみにしていた。

ママはこんな風に言うんだ。
「きっと、あなたを心配させないように、ずーっと隠してくれていたんだね。つらいときも、怖いときもあったはずなのに、ちっともそんな顔しなかった。ニコニコと穏やかに強い意志を貫いて、まるでサムライみたいな生き方をしたね」

サムライのおかげで

ママの言うこと、全部わかったわけじゃないけれど、サムライベビーシッターは、かっこいいと思う。そう、アサコさんは、かっこいいんだ。

工作が上手で、家にある段ボールで、刀もミニカーの駐車場も貨物電車もつくってくれた。

料理もおいしいのよ。卵とお肉と野菜の三色丼、ドライカレーにガパオご飯。そうそう、カボチャ、レンコン、ごぼう…なんでもチップスにしてくれた。ぼくがたくさん野菜を食べられたのは、サムライベビーシッターのおかげなのだ。

キュウリとナス

アサコさん
ぼくは、上の前歯が2本抜けたよ。
シャンプーの泡も、ぼく一人でシャワーで流せるようになった。
保育園は今日で終わったよ。

ランドセル背負ってスーツ着たぼくの写真、見せたいな。
きっと「かっこいい~」って喜んでくれるのに。
もしかして、天国から見てくれるかな?

保育園にあった本で読んだけど、夏はお盆っていうのがあって、亡くなった人がキュウリの馬に乗って来て、ナスの牛に乗って帰るらしい。
夏が来たら、キュウリとナス、必ず買うね。