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古典『御伽百物語』其の七「モンスターペアレント」

 これぞザ・怪異談、というところでしょうか。終わり方があっけないですが、逆に想像力を掻き立てられるかも?


 津の国の勝尾寺かちおじ(大阪府箕面みのお市にある真言宗の寺)の前面にかちごうという里がある。ここを通る道は、有馬温泉への湯治客や参勤交代で江戸を往復する西国大名のおかげで繁栄し、村には富裕者が多くいた。

 この村に忠五郎という者がおり、多くの田畑を所有し農業を営んでいた。家はよく整えられた豪邸だったので、参勤交代の大名などが滞在する旅館に選ばれ、家はますます裕福になり、その暮らしは一族の者から使用人に至るまで、年ごとに贅沢になっていった。
 
 そんな折、忠五郎は一人の娘をもうけたので乳母を探すことにした。
そのころ芥川あくたがわ(大阪府高槻市を流れる川。淀川の支流)の里に、同じ里の家に嫁ぎ一人の子がいる貧しい女がいた。
 夫は高槻藩への年貢に未納があったため土木労働者として江戸に送られそこで病死してしまい、母子は生活に行き詰ったので、どこか他家に仕える口はないものかと方々ほうぼうで尋ね回っていた。

 それを知った忠五郎は不憫ふびんに思い、幸い自分の子と同い年の子がいるのでよい遊び相手にもなろうと思い母子を呼び寄せ、娘の乳母として家に住まわせた。
 忠五郎の妻も情け深い女だったので、乳母の子も自分の子と同じようにかわいがり、衣類食べ物に至るまで必ず同じものを取り揃えてやっていた。
 
 あるとき出先から帰った妻は、たまたま林檎りんごを一つだけそでに入れていたので、我が子かわいさについ軽い気持ちで自分の子にだけ与えた。それを知った乳母は烈火のごとく激怒して、

「あなたの娘はわたしの世話で育ち四歳にもなり、乳以外のものも食べるようになりました。わたしへの恩を忘れてくださいますな。どうして今までのように二人を等しく扱ってくれないのですか。わたしが見ていなくてもこの子さえいればそうしてください」

 乳母はそう言いながら拳を握り歯をかみしめ、主人の子を捕まえて叩き殺してしまおうかという勢いだったので、忠五郎夫婦はじめ、そこにいた人たちはみな騒然として、

「いったいどうしたんだ。気が違ったのか。これほどに腹を立てることではないだろうに」

 と言い合いながら忠五郎の娘を乳母から引き離したところ、なんと不思議なことか、娘は乳母の子と同じ顔、同じ体つき、声まで同じで、まったくの瓜二つではないか。
 忠五郎夫婦は呆気にとられると同時に恐ろしくなり、手を合わせへりくだった言葉でさまざまな詫びを言って乳母をなだめると、ようやく乳母は落ち着きを取り戻した。そして主人の子を抱くと頭から足まででおろした。すると娘は元の姿に戻ったのだった。
 
これにりた忠五郎は考えた。

「あの乳母はきっと人ではないのだろう。あざむきたぶらかしておれの家を滅ぼそうとする狐か狸のしわざに違いない。どのような手段を使っても殺してしまわねば」

 そして下男と示し合わせていたところ、ある夕暮れに乳母が一人で門に立っていた。忠五郎はこのときとばかりにくわを取り、頭を粉微塵にしてしまおうと振り下ろした。
 すると、鍬はたがわず乳母の脳天に打ち当たったが、跳ね返って門の扉まで飛んでいき、扉を半ば壊してしまった。
 乳母は激怒し、

「忠五郎、どんなにわたしを恐ろしく思い嫌悪しても、何度襲ってこようとも、殺すことはできないぞ。後々恨みはしないと思えるのならば、どこまでもわたしを憎み追いかけ、殺そうとしてみるがよい」

 忠五郎はますます恐怖し、もうどうすることもできないと諦め、その後は主人のごとく神のごとく恐れ慎み、二度と乳母に背くことはなかった。
 
 ところがそれから十年ほど経ったのち、乳母もその子どももどこに行ってしまったのか突然姿が見えなくなった。
 そののちも忠五郎の家に災いが起きることもなく、不思議なこともなにも起きなかったということだ。
 
 (御伽百物語 巻六の三『勝尾の怪女』より)

『御伽百物語』の概要については↓よりどうぞ。
現代語訳で楽しむ日本古典『御伽百物語』前口上|トミオ|note

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