古典『御伽百物語』其の伍「ポルターガイスト in 江戸ピリオド」
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現代語訳で楽しむ日本古典『御伽百物語』前口上|トミオ|note
やや冗長ですが、豆腐の妖怪が推しです。
京都は西六条の四本松町というところに住む、吹田屋喜六という者は、信州上松(長野県木曽郡上松町)という村の出身で、猿太と呼ばれていた杣(木こり)の名人の息子である。
猿太の家は代々、伊勢神宮の式年遷宮(二十年ごとに行われる社殿の建て替え)のたびに必ず杣頭として召されてきた。
元禄二年(一六八九年)に行われることになった式年遷宮でもこれまでの例にならい猿太に杣頭の任が下ったので、木曽山脈を越え諸国で神殿用の木材を調達して回るついでに、子が多かった猿太は知り合いを頼って喜六を京都へ連れていくことにした。それというのも喜六を都人にしたいという思いが強かったからで、以来喜六は十七の歳から京都に住み、雑用役の奉公人として働くこととなった。
喜六は元来しっかり者で、力も強く肝も太かったので、重い荷物を運んでも疲れ知らず、危ない目に遭いそうになっても恐れることがない。一人で二、三人の仕事をこなすので、主人にも重宝されていた。
実直に働きとおし、年季(奉公する約束の年限)を無事に終え、礼奉公(年季が住んだあと、報恩のために主家に留まって働くこと)も済ませたうえ、多少の元手も蓄えた。そして主人が与えてくれた今の家に住み、似合いの女房と所帯を持ち、やがて二人の娘をもうけた。
娘たちはなかなかの器量よしのうえ小さなころから賢かったので、自分は卑しい出身であるけれども娘たちはいずれ大名家や名家へ奉公に出し、幸運をつかんでほしいものだと願い、書き方、読み方、音楽の芸事などを好きなだけ習わせ、自分は独立後も主人に力添えをして、味噌や塩、炭、薪などに不足がないか気を配り、台所の管理を己の役目としながら、夜は家に帰り心穏やかに眠った。
ところで喜六は小さな頃から釣りが好きで、しょっちゅう釣り竿や糸、針をいじり、時間ができると高野川や桂川で鮎などを釣ってはそれを肴に瓢箪に入れて持ってきた酒を楽しんだ。世間の男が色恋に耽り女を追いかける代わりに、喜六はそれを自分一人だけの気晴らしとしていた。
ある日、また暇ができたので釣りに行こうと思い、今日は槙の島(宇治市槙島町)だと決め早朝に出かけた。
瀬田(滋賀県大津市の地名)から流れてくる鰻でも釣りたいものだと、辰の上刻から午の下がり(午前八時頃~午後十二時過ぎ頃)まで、手を変え場所を変え竿を握っていたが鰻の一匹もかからない。そこで川に入り、蠅の疑似餌をつけてもう二時(四時間)ほども粘ってみたがやはり食いつく魚はなかった。
さすがに疲れたので腹立たしく思いながら川から上がろうとしたところ、ふいになにかが竿を引いた。確かな手ごたえがある。慎重に竿を操り引き上げてみると、なんとも奇妙な生き物で、鰻に似ているが毛が生えている。蓑亀(甲羅に生えた緑藻が尾のように伸びている亀。長寿の印とされた)にも似ているが鰓がある。このまま川に戻してしまおうか家に持って帰ろうか迷ったが、
「このような珍しく奇怪な生き物だ、見世物小屋でも出してみたら、案外儲けることができるかもしれない」
そう決めると網かごに入れて持ち帰った。娘たちを呼び、それを見て興じながら庭の池に放つと、それはむつむつと潜って池底を這うようにして隠れてしまった。
ある日、上の娘を奉公に出すことになり、その身を飾り立て、周旋人たちに来てもらいいろいろと相談していたところ、その輪のなかにふと白い餅が一つ落ちてきた。
喜六は上の娘が奉公に出たくないがためにやったことだと思い、きつく叱ったが、娘は覚えのないことだったので、涙ぐみうつむいていた。ところで餅はどこに行ってしまったのか見当たらなくなってしまったが、周旋人たちと話すことがあったので誰も気に留めなかった。
喜六たちは来てもらった人々に酒をもてなそうと思い、肴を用意し、燗鍋(酒の燗をするときに使う鍋)を出して釜を焚き燗をしていたところ、どうしたわけか肴を盛ったはずの器が見当たらない。女房は、
「おかしいね。だれか、持っていった人がいるなら返しておくれ」
と言いながら、燗鍋を置いてあちこち探していたところ、今度はその燗鍋もなくなってしまった。
いったいどうしたことだと驚き騒いでいると、煮えかえった茶釜が突然竈から抜け落ちて台所を転がり回るので、危なくもあり恐ろしくもあり皆で逃げ惑っていると、今度は臼がひとりでに倒れて出入口まで転がり、半櫃(長櫃の半分の収納箱)が土間から飛び跳ねて上がり口に乗ってしまった。 見ればさきほど消えたと思った酒と肴が櫃の上にある。
仏間からは仏像たちが身体をゆすりながら出てき、座敷に並んだかと思うと木枕が転がってきて仏像たちの前で止まる。餅がどこからともなく数知れず湧き出て、枕の上に乗ったりしている。
娘二人も女房も逃げ回っていたが、喜六は当山派(修験道の一派)の修験者として山上で先導を果たすほどの熟練者だったので、金剛杖(八角または四角の白木の杖)をつかむと、
「おのれ化け物め、おれを侮るなよ。どうせ狐か狸のしわざだろう。一打ちくれてやる」
と言って庭に下りると、大きな石が喜六の鼻頭をこすってドスンと落ちた。驚いて振り仰いだところ、縁の下から何者かに両脛を薙ぎ払われ転げてしまった。
自分の手には負えそうにないと判断し、喜六はなんとか院という山伏(加持祈祷を生業とする修験者)に依頼して祈祷してもらうことにした。
山伏はすぐにやってき、準備を整え加持祈祷を始めたが、独鈷(密教で用いる法具)を手にすれば錫杖(修験者が持ち歩く杖)が消え、数珠を手にすれば燭台が飛び上がり、それが袈裟を引っ張って山伏を引き倒してしまう。
山伏はだんだんと自分の力では及びそうにないと思い始め、大変疲れてもいたので祈祷壇から下りると、
「わたしの徳が至らないせいです」
と言って、心中で滅罪の真言を唱えながら降魔の利剣(魔物を降伏させる剣)を枕元に横たえ、少し休もうとした。しかし頭を木枕に載せたところ枕は踊り跳ね、捕まえることもできない。そこで喜六たちは、
「よし、こうなったら博奕でもしながら夜を明かそう。そのあいだにまたおかしなことが起きたらもう一度祈祷を行おう」
などと言い合い、そこにいた者たちで集まり、銭を賭けて骨牌などをしていた。
夜が更け喜六は客人たちになにかもてなそうと思い、豆腐を取り寄せて、自ら切り分けようとまな板に載せ包丁を当てようとしたところ、豆腐は足を出して人のように立ち上がり、ゆらゆらと歩いているうちに細い腕も生やし、そしてみなが骨牌をしている場まで行くとしわがれた大声で、
「おれに一銭おくれ!」
これには山伏も仰天し、腰を抜かさんばかりにして逃げていった。しかし肝の太い喜六はすぐさま豆腐の細腕をつかみ、唾を吐いた。するとまた妖怪は言葉を発した。
「おれはおまえの家の婿だぞ。なぜ無礼なまねをするのだ。おれの名は九郎、もう一人は四郎だ」
喜六はしっかりと聞き留め、夜が明けるとすぐさま北野(北野天満宮周辺の地域)へ向かい徳の高い僧を尋ね回り、智光という真言者(真言宗の法によって祈祷をする僧)のことを聞き知り、面会して事情を説明し祈祷を頼み、承諾した僧を家に連れ帰った。
智光は喜六の家に上がると、まず一間を赤い縄で仕切り、手に印を結び、真言の呪文を唱え、剣を抜いて「九郎」「四郎」の名を呼び(本名はその人物と強く結びついていて、名を呼ぶことでその人物を支配できるという考えが古来よりある)、さまざまな供物を整えるとそれらを仕切りの縄の外側に並べた。
それからしばらく祈祷や観念(瞑想の一種)を続けていたが、真夜中にもなろうかという頃、墨のように真っ黒で仔牛ほどの大きさもある得体の知れないものがどこからともなく這い出てき、供え物を食らおうとした。
智光はすばやく剣をつかむと飛びかかって一突きした。逃げていくその跡を手燭を持って追っていくと、裏口の縁の下にいた。
じっくり見てもそれがなにかわからず、ただ黒い革袋のようで、口も目もない。すぐに引きずり出して、そのうえに薪を積んで焼き殺した。
それ以降、今までのような怪異は起こらなくなったが、しばらくもしないうちに物の怪が下の娘に憑りつき、こう言った。
「兄の九郎は上の娘と夫婦の関係であったのに殺された。残されたおれはこの妹を愛おしく思ってはいるが、兄が死んだのは喜六のせいだ。恨めしい」
夜ごとそのように泣くので再び智光を頼ったところ、智光は泣いている娘を前に、剣を抜き肩肘いからして、大声で厳しく叱りつけた。すると娘は大変な恐怖を示して額から汗を流し、そして肘がみるみる腫れ上がっていくと枕ほどの大きさになった。
智光はそこに剣を当て、二度ほど刺すと、二升(一升は約一・八リットル)もの血が流れ出たが、妹は病気になるわけでもなく、憑き物は落ちて元に戻ったということだ。
今もってこのような話は聞いたことがない。なんとも奇怪なことである。
(御伽百物語 巻三の一『六条の妖怪』より)
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