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自分の言葉に、責任の所在を尋ねる

馬鹿と言われれば腹が立つし、あなたが好きと言われれば好意が芽生える。

言葉には力が宿っている事を、僕達は自覚しなければいけない。

しかし、自分の発した言葉に責任が出てしまうのなら、思いついても言えない禁句な思考は、陽の目を見る事がなく刹那に消えてしまう。

自分が生みだした文や言葉なら、これは悲しい。

相手の受け取り次第で刃や水素爆弾にも成り得る言葉の破壊力が、たまに鬱陶しくなる。

気軽に発した言葉が、右から左に駆け巡る音の塊である事を、いつか気づけたのなら、目の前にいる人達は虚像だと知る事が出来る。

世の中には綺麗な言葉も汚い言葉も溢れている。

たまには無意味な言葉を発して、無意味な時間を作り上げてはどうだろう?

生産性を生み出し、協調性を協力しているのだから、無意味な時間を意味のある風に仕上げてみるのも悪くはないのではないかと思う。

スマホを片手にして、声にならない声で読み上げる脳内では、きっと生産性もどきの嘘つきがニタニタと嫌な笑みを浮かべてる。

今日もレギュラーガソリンの表示価格を眺め、ギシギシと鳴る椅子に座る。


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