見出し画像

のらねこ、周りが責任を押しつけてくるの何とかしたい

世の中には、自分のせいじゃないのに一方的に責任とらされるケースがありますよね。

  • やるなんて一言も言ってないのに宿題しないと怒られる

  • わざとじゃないのに花瓶を割ったら怒られる

  • 委員をやりたくないのはみんな一緒なのに、僕が断ったときだけ怒られる

  • 誰かがやらなきゃいけないのに、誰もやろうとしないから結局自分がやることになる

もちろんたまにだったら誰でもあるし、そうした経験が生きてて1度もないなんてこともないでしょう。

ただし、こういうことが自分だけあまりに多すぎると感じていたり、あるいは 怒りを覚える・泣きたくなる ようだったら要注意です。
それは列記とした “他責思考” “自責思考” という心の病気かもしれません。
もちろん、たまにそういう傾向があるくらいだったらいいんですけど、常にいつでもとなると、それはやっぱり普通ではないのです。

これ、なんとかならんもんなんでしょうかね??

――皆さん、いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めましての方、あるいは久しぶりの方、どちらもとっても嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

生きるとは常にままならぬもので、それはしょうがない。人生は楽しいことよりツラいことの方がずっと多いし、それが当たり前。
そんなふうに考えがちな人に足りないのは運? 努力? 気合い?
いいえ、そのどれでもなく “目標を管理するスキル” です。
目標管理スキルを覚えてないから人生が好転しないし、そんなのできないと思ってるから改善しないのです。

のらねこに何ができる? では、だったらそんなのどうやってやるの? ってことをお伝えするため、正しい目標管理の仕方――正しい努力のやり方ってものを、僕自身が計画して僕自身が実践してきたことを例に、なるだけ面白く覚えていただけるよう、記事にしてお届けする趣旨となっております。

現在は “のら医者に発達障害が治せる?” と題し、僕自身や家族の心のケアをしてきたときの話を連載しています。

全体の執筆計画はこちら:
1. 発達障害には治せるものがある
2. ADHD/ADDを治したときの話
3. APDを治したときの話
4. HSPを治したときの話
5. 字義通り症候群を治したときの話
6. 納得不全を治したときの話
7. いつも通り依存症を治したときの話
8. 他責思考/自責思考を治したときの話(今回)
9. アンガーマネジメントを覚えたときの話
10. 無感動症を治したときの話

過去のバックナンバー

**!!注意!!**
当シリーズは、医学的に正しい理論を紹介するものではない点にご注意ください。
あくまで、効果があったと僕自身が感じたものを一例として紹介する内容です。

1. 自責傾向と他責傾向はどっちがマシ?

人間は誰しも、自責傾向・他責傾向のどちらかがあります。

他責傾向とは:
何か問題が起こると、自分が悪いわけじゃない、と考える傾向

自責傾向とは:
何か問題が起こると、自分のせいかも、と考える傾向

多くの人はこの2つの顔を両方とも持っていて、状況によって使い分けることも多いでしょう。
ですが、ざっくり平均するとどっちが多いはずで、完全にきっかり五分五分という人はいません。

一般に、小さな子供は(どちらかといえば比較的)他責傾向が強いケースが多いです。
なぜなら子供とは、あらゆる責任を親に代わりに担ってもらえるという、そういう社会的立場だからです。

このときポイントとなるのは、世の中のお年寄りの中に一部、極端な他責思考者がいるのも、基本的には同じ理由だってことです。
周りの人が責任をとってくれると思ってるから、他責思考になるんです。

まぁ、たまにいますよね。
ホント近所中からマジガチ嫌われてて、それでも知らぬは本人ばかりなりで飄々と生きてるジジィ。

や、もうねぇ、、うちの近所にもいるんよ。
急に自転車の前に飛び出して来て「あぶねぇ!」とか怒鳴りはじめるヤツとか。
いや、おまえが自分から飛び出して来たんだろうが。。。

とりわけそういう人に出会ってしまうと、他責思考よりも、自責思考の方が人間として正しい気がしてくるものです。
だって、自責思考は他人に迷惑かけないですからね。

「おまえが悪い、おまえが悪い」と周囲に叫びながら生きるより、全部自分で片づけた方が誰の迷惑にもならないし、そっちの方がいいんじゃないか、と。

ですが、それも間違いです。
自責思考だって、強すぎると鬱の原因になったりするのです。

だから自責思考・他責思考は、あくまでも “極端に偏ってること” が問題なのであって、どっちがいいとかではないんです。

2. 悪いのはあくまで極端な偏り

よくないのは、あくまでも極端に偏っていること。
なわけですから、当然ながら他責思考と自責思考があまりに極端にパチンと切り替わるのも問題です。

先ほど、子供は基本的には他責思考だと書きましたが、そういう子の中には、叱ると急に大人しくなって自責思考が極端に強くなる子もいます。
そういう子を見て、「この子も大人になったのね、ふふふ」とか微笑ましく思ってる人もいるかもしれませんが、これ、ダメです。

他責思考・自責思考は “極端であること” が害悪なのであって、どっちかがいいわけじゃないんです。

他責思考が強すぎることを責めた結果として本人の自責思考が強くなるってことは、本人が自分を「僕はあらゆる責任を押しつけられる立場なんだ」と認識してしまっているってことです。
もしそうなら、そんな教育が健全であるはずがありません。

でも、だったら叱らなきゃいいのかというともちろんそんなわけはなく、他責思考の強い子を叱らなかったらワガママな子に育つだけ。

ならば一体どうすりゃいいのか?
決まってますね。
誰が悪いのかの判定ルールを、正しく教えてあげることが大事なのです。

3. そもそも責任の持ち手に“べき”は存在しない

では、どちらに責任があるのか判断できるようになるために、問題を解いてみましょう。
たとえば以下の状況で、皆さんは A.B. のどちらがより悪いと思うでしょうか?

ケース1. 
2人の会話が通じないとき、
A.話し手がより丁寧に説明すべきである
B.聞き手がもっとしっかり理解すべきである

ケース2. 
お店の商品に不良があったとき、それを何とかするのは
A.基本的には売り手の責任だ
B.基本的には買い手が自分で何とかすべきだ

ケース3. 
見通しの悪い道から飛び出した歩行者が車に轢かれてとき、
A.見通しは悪かったんだから歩行者が悪い
B.少なくとも車が悪い

これらの問いには、おそらく皆さんそれぞれ「こっちに決まってる」とか「どちらかといえばこっち」とか、いろいろあると思います。
たとえば ケース3. の場合は 【B.車】 と考えた人も多いのではないでしょうか。

もし読者さんの中に、「さすがにこれはこっちしかないに決まってる! この記事の執筆者はアホか!」と思った人がいたら、まぁ、私の頭がそんなによくない点については大きく否定はしませんが、でも今回はそういう問題ではありません。
どっちが悪いかを決めつけていたら話が先に進みません。

どちらが責任を持つべきかは、人類普遍の原理としては特に決まっていないのです。
ケース1. ~ 3. すべて、どっちが悪いか最初から決まってるわけじゃないし、常に絶対必ずこっち なんてケースは存在しないのです。

どちらが悪いか決めるのはあくまでも “一般的な社会習慣” あるいは “法律” といったもの。
つまり人間が、自分達の都合で決めたルールによって決まるんです。

これが今日のポイントです!
責任の置き方が、ルールに基づけば必然的に決まるのと、最初から決まっているのは明確に別物なんです。

ですから大自然の(=この世界そのものの)基本原理としては、別にどっちに責任とっていただいても構わないのです。
この世界を作った神様(なんてものがもしいるとしたら、彼は)はそんなことにいちいち頓着しないってことです。

このとき、

  • 「どちらが責任をとってもいいなら相手がとれば解決」と考えがちな思想のことを他責思考、

  • 「どちらが責任をとってもいいなら私がとれば解決」と考えがちな思想を自責思考

と呼ぶわけですね。
どっちが責任をとるべきかが特に決まっていない、という前提があるからこそ、他責思考・自責思考の人が生まれてくるし、人間はどちらかに偏ってるのが当たり前ってことにもなるわけです。

だから他責が強くて周囲を困らせる人に出会ってしまったら、「こいつ分っかんねぇ」じゃなくて、「こいつ、どういうルールで判断してるの?」と考えることが重要なのです。

1. 極端な他責思考の例

比較的分かりやすい他責思考の例としては、自分に不都合があると “周囲の人が悪意を持っている” と認識しがちな人が挙げられます。

目の前の人がエレベーターの右側を開けてくれないとき
⇒ こいつ後ろの通行を妨害してる、と捉えるのは他責思考です。

そのような意図があるとは到底考えられません。
エレベーターの右側は、急ぐ人のためのスペースではありません
ただ、“右側は急ぐ人のためのものと思いたい人” がいるだけです。
それはルールではなく思想です。

食べたかったアイスクリームがたまたま売り切れていた
⇒ 買い占めたヤツがいる、と捉えるのは他責思考です。

いるわけない。
あなたが欲しいものはみんな欲しいだけ。
当たり前でしょ。

自信が十分あったのにコンテストで優勝できなかった
⇒ 卑怯な手段を使ったに違いない、と捉えるのは他責思考です。

使ってません。
努力の過程であなたがどんなにツラい想いをしても、より効率のいい練習法を見つけた人に勝つことは絶対に不可能です。
勝負事は、勝つかどうかが苦しんだかどうかで決まるのではありません。

世の中は確かに、周囲の人々みんなが、なんだか急にこちらに悪意を持ってるかのような振る舞いをしだすことがあります。
でもそれは、みんなが自分に正直に生きると必然的にそうなるだけです。
これは意図して意地悪しているのとは明確に異なります。

2. 極端な自責思考の例

今の日本で大きな問題となっている自責思考の例は、“抱え込み癖” です。
とりわけ仕事に関することで、なんでも「自分がやるしかどうしようもない」と考えてしまうのは自責思考です。

そもそも、世界で唯一あなたにしかできない仕事なんてありえません。
あなた個人は他人にやらせる方法を知らないのでしょうが、それをあなた個人が知らないことは、世の中的にどうしようもないのとは明確に異なります。

電話が鳴った。自分しかいない!
“取らない” という選択肢があるにも関わらず、「取らなきゃ」と思ってるのはあなた個人の発想です。
世の中の絶対ルールではありません。

大事な納品日に風邪をひいた! 納品作業は自分しかできない!
特定個人が風邪をひいたくらいで作業が出来なくなるなら、そのような状況では “1日伸ばしてもらう” という選択肢があって叱るべきです。
なのにその選択をしないのはあなた個人の判断です。
社会全体の当たり前ではありません。

お客さんからの要望! 叶えてあげなきゃ!
“断る” という選択肢があるのに、その選択をしないのはあなた個人の判断です。
また、自分のことを「性格的に断れない人間だ」と思ってる人は、断る練習をやってないから断れないだけです。
世の中なんでも、練習しないでできることなんてそう多くはありません。

これらは全て、自分に責任があるかどうかを自己判断で決めていい理屈はないものばかりです。
自分が責任を持つという判断は、確認した結果、自分が責任を持つのが妥当だと分かったからという理由のうえでやることです。
何も考えずに とりあえず自分が責任を持つ のは自責思考です。

4. 自責思考・他責思考の治し方

まず前提として、自責思考・他責思考を、性格だからどうしようもないと思っているうちは絶対に治りません。
“責任の所在を確認する” という行為は、社会の(あるいはその場の)ルールに基づいて行うものであって、本質的に性格的にできたりできなかったりする類のものではありません

性格の問題ではないものを性格のせいにしているかぎり、治療は不可能なのです。
第1の根本的な前提として、責任の所在というものは普遍の原理で決まってるのではないからです。

たとえば、 “地球を大切にする義務” を地球人類が持つのは当たり前、と考える人もいるでしょう。
地球は大切にしなければ人の住めない星になってしまうので仕方ありません。

ですが、この考えも別に普遍の原理ではないんです。

この考え方は、地球を大切にしたいと思う気持ちから人間が後天的に生み出した義務であって、神や大自然の掟みたいなもので定められてる運命なんかじゃありません。
責任が発生するのであれば、そこには “所在を決定づけるルール” が必ずあって、そのルールを決めたのも必ず “誰か人間” なんです。

神に定められた責任なんてないんです。

ルールというのは人間が後天的に作り出すものですから、正しい判断をするためにはあらかじめルールを学習しておく以外にありません。
あらかじめ学習してないから、“とりあえず相手に押しつける” “分かんないけどとりあえず自分が責任を持つ” という行動に出たくなるのです。
それらは、どちらも “周囲からはとても幼い行動に写る” ものです。

ルールとは、大人になったら自然に分かるものじゃないし、かといって教えてくれなければ周囲が悪いことになるわけでもありません。

  • 誰も教えてくれないのなら、なんとかして自分で調べるしかありません

  • ルールが変わったら、誰も教えてくれなくても察して認識を改めるしかありません

人間は、生きていくうえでルールにがんじがらめにされているのが当たり前です。
ですから、自分を縛るルールを知らなければ、自分の好きなように生きていくことはできません。

誰も教えてくれないルールを何とか調べて理解していくことが重要なのであって、つまりはそれが
大人になる
ってことなわけです。

それが、好きなように自分勝手に生きていくために、必要なことなのです。

[広告]
ここまでお読みいただきありがとうございました。
僕が開発・運営している 目標管理アプリ Project Sylphius は、目標設定・アイデア出しのお手伝い・ジャーナリング・自己分析機能などなど、あなたの挑戦・あなたの仕事が楽しく続くWebサービスです!
無料・無期限でプロジェクト2つ作れます。
1度お試しください。

TOMCAT HEART / 目標管理アプリ Project Sylphius

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?