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働き方改革を進めていた人事の僕が適応障害になった話

2021年11月某日、現在進行形で休職中ですが、自分の経験が「だれかの役に立てるかも?」と思い、note を始めさせていただきました。

これに興味を持って読んでいるとしたら、同じ経験の方、あるいは家族、人事経験者、そして今現在無気力さを感じている方だろうと推測し、そういった方々向けにまとめております。長文かもですが、ざっと読んでいただき、ご自身の中だけでも何かプラスになれたら幸いです。

僕の人事部での仕事

恐らく、僕の”適応障害”の原因なので先にちょろっと記載します。(読み飛ばしても問題ないです。)
僕は去年、これまでの営業から人事部へ異動した。

人事の仕事ってどんなイメージだろうか。

会社によっても違うと思うが、大体の人は「お役所仕事っぽいイメージ」を持たれるのではないだろうか。僕自身、異動前はそう思っていたし異動が決まった時には「お?今までと違って数字目標とかなさそうで良かったー!」とまで思っていた。(実際はそんな甘いところではない…)

人事業務大きく分けると給与・労務・異動・採用・人事制度・労組対応・教育/研修 etc... がどの会社でもあると思うが、僕は主に後半の人事制度や労組対応、教育をメインの業務に就いていた。

簡単に言えば「社員評価をどうすれば正しく行えるか」や「労働組合と会社の協議を踏まえてよりよい職場環境をどう実現するか」、「社員全体のスキルアップをするにはどうしていくべきか」といったもの。

一見、やりがいがありそうで何ら不満はない業務に見えるし、現にやりがいは大いにあった。特に、異動直後から会社全体として社員評価制度を新しく作り変える方針があり、そのチームで全力で努めた自負もある。

一方で、特に職制でもない僕にとって、これら全てを担当者としてこなしていくこと自体に無理があったのかもしれない、と今では思う。

担当者として”従業員への公平性”や”過去とのバランス”、”職制へのお願い”に常に追われており、明確な”終わり”はどこにもない。また、その為には所謂”腫れもの”に触りにいかなければいけないこともある。

例えば、あなたの職場に「この人面倒だな…」と思う人はいないだろうか。大半の方は”触らぬ神に祟りなし状態”になると思うが、人事は”真っ向から触りにいかなければならない状態”が日常と思っていただければ分かりやすいかもしれない。

…と、話がそれてしまいそうでここまでにしますが、決して「人事が大変」ということを知ってほしいわけではなく、「やる気があって普通に業務を進めていた人間(僕)」ということをお伝えしたかった感じです。(分かってます、営業部だって、経理部だって、開発部だって…etc、みんな大変)

ある日、突然「会社に行けなくなった」。

6月ある日の月曜日、「なんとなく会社に行きたくない」という気持ちが目覚めた瞬間から脳内を巡った。”前日めちゃくちゃ怒られた”とか”職場に嫌な人がいる”とかは特にない。そろそろ家を出なければいけない時間になっても布団から出る気力が全く起き上がれず、上司へはメール一通「体調が悪いので休みます」とだけ送り、その日はスマホを見ないようにした。

それは次の日も続いた。そしてその次の日も…。

そう、僕は突如としてその一週間、全てを放置して休んだのだ。勿論、その期間に参加すべき会議や作成すべき書類など様々があったはずで、多くの方々に迷惑をかけたに違いない。そうなること自体、予測は出来てたはずだけど…それでも、1週間休み続けた。

「もし可能なら金曜日に会えますか?」

と上司からメッセージが届いており、金曜日に上司にわざわざ自宅近くに来てもらい、駅近カフェで話をした。話しながら、なんとなく仕事への”モヤモヤ”は整理され、大変ありがたかった。取り敢えず、「週明けは出社しなきゃ!」という気持ちにもなり、翌週には出社が出来た。
周りの人からも責められることはなく、むしろ「大丈夫?」と声までかけて貰い、恥ずかしささえ覚えた。翌日、翌々日も「休んだ分を取り返さなければ」と思い、一か月は普通に出社した。

しかし、一か月後、再び僕は出社できなくなった。

専門医に診てもらった方がいい、という言葉。

8月になってまさかの”出社できない一週間”が再びやってきた。そこで上司からは「もし可能なら一度お医者さんに診てもらったほうがいいかも」とメッセージを受けた。

今思えば上司も凄いことを提案したものだと思う。
言葉悪いが言い換えれば「あなたは心の病気かもだからきちんと診断してもらって」ということなのだが、仮に貴方の前に、どんよりとした空気の人がいて、直接「病院行け」と言えるだろうか?

現に、当初は私の妻も若干その上司提案には怒っていたような気がする。笑
だけれど、ここでしっかり心療内科へ行ったのは非常に良かったのだ。恐らく、上司も今までいろんな部下や同様の休職者とのこういった経験があったのかもしれない。

初めて、診療内科を訪れた。

まさか自分の人生において”心療内科”に行くことになるとは思わなかった。家族も友人もビックリであろう。僕は基本、ポジティブの中のポジティブポジションだと自他共に認められていたくらいだ。(友人からは「何も考えてなさそうでいいな!」と冗談で言われたこともある。)

そもそも人事として”社員の働きやすさ”向上を第一とし、「そういう心の病の人を一人でも減らしていくこと」も仕事として進めていた身でもある。余計に”まさか感”はほかの人より強かったかもしれない。

コロナ禍だからか初診を受け付けてないクリニックも多く、とりあえず自宅近場の心療内科へ予約なしで飛び込んだ。

初めての心療内科クリニックに入って正直かなり驚いた。
何しろ患者さんが非常に多い。また、文字通りの”老若男女問わず”いた。同じ年齢くらいの男性もいれば金髪のお兄ちゃんお姉ちゃん、女子高生、おじ様おば様…っと。

「え!こんなにもたくさんの人が心療内科通ってるの?!」と思った。

同時に、何となくどんよりとしたその空気感に違和感さえ覚え、「自分はこの人たちとは違う。」とも思った。当時の僕は偏見すら持っていたのかもしれない。

診断名は”適応障害”

結果として僕はタイトルにある通り”適応障害”と診断された。ちなみに診察初日から「あなた、それ適応障害ですねー」となったわけではない。

僕の場合の診断されるまでの経緯はこうだ。

 1回目、これまでの経緯をお医者さんに話す⇒ 一旦様子見。
 2週間後、改善見られず全体的にやる気が出ない⇒ 心が和らぐ薬。
 3週間後、改善見られず全体的にやる気が出ない⇒ ”適応障害”と診断。

察するに”適応障害”でなければ多くの人は2週間前後休めば復活する人も結構いるのかもしれない。でも、僕の場合は何も変わらず。期間中、一応は布団の上から起きるが妻の出社を見送ってからは、そのまま家事もせず、時折TVを観ることはあってもほぼほぼ何もせず、ただリビングのソファに座り続けた。

尚、この期間は会社には有給休暇消費期間としてもらった。但し、一連のことは都度上司にも共有しており、”適応障害”診断されてから正式に休職扱いになったわけである。

”適応障害”って何?

最初に勘違いないように伝えたいのが、”適応障害”は「”うつ病”とはまた別ものだ」ということ。つまりは僕の体験は適応障害の方に向けては効果的かもしれないが、うつ病の人には通じない部分が多くあるのだ。

”うつ病”はストレス原因が不明な場合も多く、慢性的に心が疲れており、またその多くは”生に対しての疲れ”であるようだ。その為、自傷行為や「死にたい…」という感情も出てきやすい。”うつ病”にはしっかりとした薬がある。投薬治療こそが一番の効果として出てくるはずなので、カウンセリングでどうにかなるわけではないことを自分も周りも抑えていなければいけない。

一方、”適応障害”は必ずストレスの原因があるらしい。詰まるところ”適応障害”とは特定のストレスによって脳の疲労が本人キャパを超えてしまっている状態らしい。私の場合は”仕事”がストレスにあたる(内容は前述)。溜まったストレスによって脳内でパニックが発生しているのだ。気分を和らげる薬や軽い睡眠導入剤は処方されるが、薬によってこれ自体が治るわけではない。

解決方法としては「その特定のストレスから身を離し、かつ、新たなストレスの火種をなくし、とにかく脳を休ませる」、これ以外にないようだ。

※一つ、知ってもらいたい重要(と僕は思う)ポイント。
適応障害は「ストレスから離れていれば、案外今までと変わらない」こと」。最初のころは僕も憂鬱な気分でしたが、いざ「休職期間」に入ると不思議と見違えるように多少元気にはなっていました。これ、周りの人が仮に一見した場合、「この人、絶対ずる休みじゃん」と思うかもしれないです。
実は適応障害である本人すらも思っています。「なんか普通に過ごせるようになってる…。これ以上休むと却って周りの目が痛くなりそう…」と。
ココ結構な重要ポイントとおもって追記しました。

「脳を休ませる」とは、すなわち”睡眠”。

「とにかく今は睡眠が重要」と先生に言われた。
但し、あくまで本能的に眠い時に寝て、起きたい時に起きる必要がある。「脳を休ませるために寝なきゃ…」と思うこと、それ自体がストレスであり、眠れないのであれば、どんなに真夜中でもむしろ起きていた方がよかったりする。

現に僕も朝3時にそのまま目覚めたこともある。
そしてお昼に数時間寝たことも。

急いで治したいなら、ゆっくり安静に

僕自身、急ぎすぎたあまり、過ちを犯し、実は数週間近くを無駄にした。その過ちとは「復職後のことを考え、なるべく普段と同じ時間に起きてみる。」ということ。

ここには2つNGがある。

”復職後”のことは考える必要はないし、”同じ時間”に起きる必要もないのだ。前述したようにストレスの原因から身を離し、本能的に寝たい時に寝て起きたい時に起きるのがいいのだ。

「そりゃそうでしょ」と思う方がいるかもしれない。

僕も最初から先生に忠告されていたことだし、注意はしているつもりだったが、どうも”長期で休んでしまっている”という罪悪感がそうさせてしまうのだ。その為、もし周りで同じように適応障害の人がいる場合、この点は注意深くみて、時には指摘してあげてほしい。

但し、後半(治りかけ)はこれが正しい…前半からこうしていることが過ちなのだ。
先生からは「ひじを痛めた投手がまだ全然治っていないのに、ピッチング練習しているようなもの」と言われ、ハッとした…。

身近な人には伝えるが吉

妻はもちろん僕の適応障害について知っているが、必要なのはその他の家族に対して伝えることだ。僕には定年退職し終わった父と母がいる。恐らく悠悠自適と思われる温和な生活の中で「息子は今、適応障害で休職中」とは何とも言い難い。いらぬ心配をかけたくはなかった。

ただ、これについては産業医の先生からは「絶対にご両親へは伝えなさい。」と言われていた。

理由は大きくは3つ。1つは”金銭的補助”の面、2つ目は”隠すことのプレッシャー”の面、そして3つ目は”知らない方が辛い”面ということ。幸いにして金銭補助を貰うことは(現時点では)なかったが、残りの2つを聞いて納得し、両親に伝えることを決意した。

ちなみに僕は診断が出てから2週間ほどで直接実家に会いに行き、伝えた。両親ともにそこまで驚いた様子はなかったが、それ以降、定期的に連絡する率が前よりも格段に増えた。気にかけてくれる人がいる、というそれ自体が今の僕にはとても有難かった。

そして、案外周りで同じような経験をした人がいることにも気付かされる。それは母の友人の息子さんであったり、妻の別勤務地の同期の方であったり…。

これには僕も驚いたが「あぁ、それくらい今の自分って特殊状況じゃなくて普通っちゃ普通のことかー」とも考えられるようになり、結果、自分の治りを早くしてくれたようにも思えた。(時同じくして、タレントの深田恭子さんや鈴木奈々さんも適応障害で一時仕事を離れる、というような記事もあがり、勝手ながらに仲間意識を持ったりもした。)

運動や読書を日常に取り入れる

「本能的に起きて本能的に寝る生活」を3週間ほど続けていると、なんとなく生活サイクルが意図せず出来上がってきた。とはいえ、起床時間は10時とか。普段の会社生活においてはもはや遅刻時間。

それでも「なんとなくサイクルができていること自体が重要な前進」と先生に言われた。

そして、この頃から「簡単な運動が出来そうだったらやってみて。あとストレスがあまり掛からないこともやってみていいよ」と言われ、気が向いたらウォーキングしたり本を読んだり、時にはゲームをして過ごした。

起床時間を段々と早める

後半になり、ようやく先生から「少しずつ普段起きる時間に戻す」ことを提言された。尚、現在の僕がまさにそれに励んでいる状態。

ただ、この数ヶ月で作られたサイクルを早める方向へとずらすことはなかなかに難しい。思った時刻に起床できないと、起きてからものすごく後悔したりする。

ここ最近は「時間を戻す」というより「朝、○時に起きてベランダに出る。その後に二度寝してもいい」という”その後に二度寝してもいい”があることによって精神的に相当和らぐ手法で少しずつ良くしている状況だ。

続けている内に段々と時間がずれてくるから治療がいい方向へ向かっていることが体現し、加速度的によくなっている気がする。

※習慣化はまずはめちゃくちゃ小さな目標から始めるといいそうです!例えば、英語の勉強を続けたいけどいつも3日坊主で終わってしまう人は、「1日一回は英単語帳を触れる。」という小さな目標にするだけで、結果、最終的には英語勉強が習慣化されてくるとのこと!心療内科で習いました!
(ちなみにそれでもだめなら「1日一回は英単語帳を視界に入れる」くらいどんどん目標行動を小さくするといいとのこと。)

もはや適応障害になって良かった…と思えるようになった。

以上が、”これまで~そして現在”の僕です。
もし、直近で身内に適応障害の方がいたり、もしくはあなた自身がそうであった場合、いくらか心の励みになれればと思い本記事を執筆しました。

”適応障害”になったからと言って悲観する必要はないです。
むしろ、僕はこの休職期間があって良かったことが多々ありました。

自分にとって、妻の存在の大切さ、家族の大事さ、職場からの優しさという気持ち的な部分、莫大な時間ができたことで読書週間が増え、これまで知識が足りていなかった世界史、日本史知識から動画編集やPythonといったスキル的な部分など、様々なことを学ぶ機会を得ました。

今後の自分の人生において大きな時間だと思っています。

ここら辺も後日、別記事にしたいと思いますが、勿論、最初はたっぷり本能的に睡眠とってください!慌てなければOK!

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