少年野球と米津玄師
どうも、高尾トンビです!
今日は三連休の最終日。家の近所を散歩していました。
母校の小学校を通りかかると、少年野球チームが練習していました。
令和になっても変わらない光景
こういう光景は昭和も平成も令和も変わらないんだなと思っていましたが、一つだけ違うことが・・・
それは、ベンチの方から大音量で米津玄師の「Lemon」が流れていたこと。
なぜに?米津?
少し気になったので、しばらく立ち止まって見学することに。
見学といっても、グランドの中に入るわけには行かないのでフェンスの脇から見ている感じです。
Lemonが終わると、次はドラマ「ノーサイドゲーム」の主題歌の「馬と鹿」が流れてきました。
監督が米津玄師さんのファンなのか?
いずれにしても、練習中に音楽を流すっていうのは珍しいなあ。
すごくキツかった少年野球の思い出
僕は小学校2年生〜4年生までの間、少年野球チームに所属していました。
その頃は体力もあまりなく、運動神経も鈍い方だったせいなのか、とても練習がキツかったという記憶があります。
昭和の時代だったので、練習中は水分を取ることが禁止されていました。
指導者にも熱中症を避けるという意識もなく、休憩も2時間に1回くらいの感覚でその時だけ水を飲むことが許されていました。
5年生、6年生がチームの主体で、2年生〜4年生までずっと球拾いをしていました。
キャッチボールやランニングなどは参加させてもらえたのですが、ほとんど球拾いだったので、僕は練習が嫌でたまりませんでした。
いまではあり得ないことですが、「うさぎ跳び」などもガンガンやるような感じでした。
今思うと、野球もあまり好きではなかったんじゃないかなと思います。
バレーボールクラブへ
それからしばらくして、少年野球チームをやめてバレーボールクラブに入りました。
バレーボールクラブは人数が多くなかったせいもあって、試合にもすぐに出してもらえていたし、身長もバレーボールを始めてから伸びたこともあって、僕の場合は、少年野球をやめて正解だったと思います。
バレーボールクラブは、少年野球とは違い水分補給もマメに取る感じで、練習もそこまでキツくはありませんでした。
おそらく相性の問題もあったかと思いますが、結局バレーボールは高校までの9年間続けました。
米津玄師の音楽のおかげ?
僕にとってはキツイ思い出の少年野球ですが、今日見かけた少年野球チームの子どもたちは楽しそうに練習しているように見えました。
米津玄師の音楽のおかげなのかは、わかりませんがなんか厳しいような雰囲気は感じませんでした。
音楽をかけることによってリラックスするという効果もあるのでしょうか。
もしかすると、それを計算しているのかなあ。
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