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仕事の転換期

最近、7年目になる会社へ退職の意思を伝えた

私の仕事は「街の本屋さん」
ただ、やっていることは本という媒体を通じて教育業界を支えている(と思っている)
もちろん、教員資格もなければ子育てをした経験もない

教育現場を一業者として見てみると
小学校であれば6年間、中高でいえば3年間という人生の中であっという間の期間を
私が学生時代行っていたこととほぼ同じメニューでこなしている
内容や方法に違いはあるが

一方で紙の本の立ち位置というのは年々変化をしている

本屋の利益は約2割と
1冊¥1,000の本を売っても¥200の儲けしか出ない薄利な業界だ
ほぼ毎日出版社から新刊の本や雑誌が入荷し陳列をする
私の仕事は主に教育現場への営業だから陳列をすることはないが
約2割の利益を得るために手売りをして地道に稼いでいる
それでも私たちが食べていけているのは
年度変わりの時期に学校から依頼がある教科書や教材の販売といった業務があるからだ

この業務を丸6年こなしてきて思うのは
この業務ほどなくなったら困るものはないのではないかという主観的な使命感だ

そんな中、コロナ渦が追い風となって教育現場にはGIGAスクール構想という
1人一台の端末を持って勉学を行う方針が一気に広まった

これまで当たり前のように存在した
「教科書」「教材」がたちまち「アプリ」「ネット」に切り替わる世界

本屋は焦る

教科書がデジタルになってしまったら、私たちは何でご飯を食べていけば良いのか、と

これまでの私たちはそれでも自分たちの形を維持するために
利益が良いものを取り組んできた
何も知らない人は「本屋さんが何でこんなことまでするの?」と問う
主力事業で食べていけてたらどんなに楽だっただろう

そんなことばかり思っていたら
googleのおすすめ記事は
「生き残りをかけた書店経営」だの「街の本屋さんがなくなる!?」だの
まるで自分の心を読んでいるかのようにおすすめ記事をひろってきた

そんな中、自分自身にも転機が訪れた
そう、昇進、異動の内示が出た

何でもできる本屋さんだからこそ
やってみたいことがまだまだあった

2022年5月〜新しい場所で自分が思うように働いた
うまくいったこともあったし、また打ちひしがれる日々もあった
そうこうしていたら、
新しく来た都会の顔も見たこともない人がこれまでのやり方を色々変えると言い出した

そして経営という判断で様々なことを考え、実行にうつしてきた

私はその姿を見ながら改めて
私の中の街の本屋さんとはどういう存在だったのか、考えるようになった

私のイメージでは
人の拠り所だったり、感情が動く場所であり
営業マンである私はそういう存在でありたい・あるべきだと思った

なぜなら、私は本屋さんが得意ではなかったのだ
ストーリーが面白くなければ時間を使う意味がないと考えていた幼い私は
本という中身を読み込まなければ面白さが理解できないものが苦手だった
もちろん、本屋さんも知らない作家の棚、とにかく積まれた本の山
それがとにかく不親切だと思っていた

本屋に入ったのも、最終的に自分で本屋さんを好きになりたいと思ったからだ

今現在、私は本屋さんが好きになった

本は悩みを抱える人には知恵を授け
悲しみを抱える人には一緒に泣いたり慰めてくれ
もっと知りたいと思うことには更なる教養を与えてくれる存在だと気づけた

若い時は時間が惜しかった
本を読むこと以外にもやるべきこと取り組むべきものが明確にあったから

本屋を知っていくと
棚を端から見て、興味を持って手に取り、面白くなくとも読んでみる
そうやってある種、博打感覚でも楽しんで良い場所なのだと知った
不親切は親切の裏返しのようなものだったんだと

営業をしていると
目の前のお客様の人となり、生活スタイル、悩みなどを感じ取ることができる
全てではないが7割くらいはその悩みに力になりそうな書籍が見つかる
自分自身の悩みは他の誰かもきっと悩んでいて、
そう思うと本のページを捲る手が早まる

そういう仕事をしていると
自分自身の存在価値のようなものが向上していく感覚があった


私の興味関心の次は、存在価値の証明書を探すこと
会社は状況が流動的だからこそ、会社に順応するのではなく
自分自身の存在意義を明確にしていきたい

そうして、また新しい仕事へと足を踏み入れていく
それが私の働き方なのだから

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