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IT業界から情シスに転職して6年目の日記 〜情シスの可能性は無限大〜


こんにちは、まさ@アップデートする情シスです。今日は6年前に今の会社に転職したときの話をします。

今回の話はこんな方に是非とも読んでいただきたいです!

  • IT企業から製造業などの事業会社の情シスに転職を考えている方

  • 情シスの可能性を模索しながらも壁にぶち当たってしまった方

  • 情シス発信の組織改革とキャリアアップを実現したい方


▶︎当時の自分

私は今から約6年前、当時52歳でIT業界から今の会社(製造業の情シス部門)に転職をした。

東京の会社から愛知県の会社と言う地理的な越境、家族から離れ実家に戻っての生活基盤の変化、製造業と言う今まで就業経験のない会社への転職、今考えてみたら、かなりチャレンジングな転職だったなぁと思える。

当時はまだDXという言葉が出始めたばかりで、一部の大企業が取り組んでいる程度。

だから転職媒体でも情シス部門長の募集自体は非常に少なく、条件も今のような好条件ではなかった。

転職活動自体も1年以上かけて、ようやく自分が役に立てそうな会社に出会えたと言うわけだ。

52歳と言う年齢もかなりネックだった事も事実…


▶︎転職前の期待は妄想だった

さて、そんな感じで、新たなチャレンジの場を見つけたわけで、自分としてはかなり前のめりに(良い意味でも、悪い意味でも)なっていた。

もともと前職も含め約35年間システム開発やIT業界に身を置いており、製造業など色々な会社に対して提案をやった経験もあり、それなりに(根拠のない)自信もあった。

むしろ、ITシステムやサービスを提供する側から、それを活用してする側の立場に立つことに対する新鮮味や楽しみ、ワクワク感がでいっぱいだった。

実は、転職が決まった後、こんなことを策略していた。

  • 情シスは本社機能の花形部署だろう

  • 毎月1つ企画アイデアを提案する

  • 2ヶ月に1度経営会議に提案を諮る

  • 1年以内に管理職になる

  • 年収大幅アップ

ところが入ってみたら、こんな甘っちょろい妄想は一気に吹き飛ばされてしまったのである。


▶︎情シスは花形ではなかった

入社する直前でわかったことだが、情シス部門は、まだ課にもなっていなかったのだ。
組織的には、経営企画課の情報システムグループと言う位置づけだった。

組織に権限がないのだ。

この時点で思い描いていた上司部門の花形部署のイメージは崩れ去った。

自分の本部の中から地位を向上させないと…あぁ…気が遠くなる(泣)

しかし情報システムグループの面々は非常に真面目で言われたことをきちんと忠実にこなす。そんなメンバーばかりだったのが、唯一の救いだったかもしれない。


▶︎異業種は異文化との闘いだった

続いて感じた大きなギャップは文化の違い。

今までお客様に対して使っていたトークや会話が同じように通じるだろうと思っていたら、大間違いだった。

情シス部門内ではかろうじて通じた会話も、いざ事業部門に対する提案やヒアリング、キーマンとの面談においては、自分が喋っている会話が全く通じないし、相手に響かないことがわかった。

①あなたの言っている横文字言葉がわからない

アジェンダ、メリデメ、クラウド、エビデンス…これらの言葉は現場の人には全く通じなかった。

逆に自分が全く理解できなかった業界用語は、
改善、職制、号口、ミスロス、OA端末、相互作用…

②開ける扉が違ってますよ

その課題感はピンと来ない、現状調査した?システムの話ではなく、業務の話をしてくれ

この言葉を何度も言われた。

現状を調査させることなく、思い込みの課題を単に資料にまとめ、「こんなシステムで課題が解決できますよ」と言うアプローチが一切通じなかったのだ。

事業会社においては、まず業務を自分の目で見て、そこで出た具体的な課題を現場にぶつけ、その次に課題を解決するための仕組みの提案をするアプローチが必要なのだ。

今考えれば当たり前のことだが、当時の自分はそうではなかった。IT屋さんにありがちなシステムありきのアプローチ。これは気をつけたほうがいい。

③自分達の嬉しさがないと前向きになれない

授業会社にはいろいろ課題があり、セキュリティーやインフラなど現場から見えないところで働くITシステムについては、現場の嬉しさはあまり関係ない。

むしろ嬉しさよりも、会社の重要な資産をリスクから守る、お客様に迷惑をかけない、と言った大義名分があれば、現場は納得する(経営者はまた別だが)。

一方で、基幹システムや業務システム、メールやチャットなどのコミュニケーションツールについては、現場の嬉しさやメリットがないと導入には協力をしてくれない。

導入に総論では賛成してくれても、いざ運用段階になると全く使ってくれないと言うことが起こってしまった。

だから必ずこのようなシステムを導入する際には、現場とのすり合わせ、景色合わせ、嬉しさを見つける、といった地道な作業が導入前に必要になってくる。

このプロセスを得ずに、強行突破してしまうと、後で大変な苦労をしてしまう。


▶︎動かせない人事制度があった

最後に「1年以内に管理職になる」「年収アップ」と言う入社前の決意も、残念ながら妄想に終わってしまった。

事業会社、特に歴史のある昔ながらの規律を重んじる会社は、基本的には年功序列の色が濃く成果主義が盛り込まれた人事制度に変わっていないことが多い。

こういった人事制度を入社前に確認する事はなかなか難しく、入社後に最短距離に距離を進めるように上司にアピールして頑張っていくしかない。

最初の頃は、試用期間がやたらと長かったり、給与面でも思った以上に差し引かれる金額が多く、こういった制度上の課題との向き合い方に苦労したのが思い出される。

しかし、ここで諦めたり、腐ったりしてはいけない。

自分はこの点に関して、入社直後に直属の部門長に対して次のような宣言をした。

1年後、情報システムグループを課にする
2年後、そこの管理職になる
3年後、守り一辺倒の情シスから攻めの情シスに変える

宣言したことで、モヤモヤに対して踏ん切りを付けて前に進むことができたのだ。

自分のやりたい事ができない理由を会社や経営や制度の責任にする人がいる。向き合おうとせず、その壁をブチ破ろうともしない。

宣言をする(=外に吐き出してコミットする)勇気と覚悟が無ければ、組織を引っ張ることなどできないのにね。


▶︎情シスの可能性は無限大

最初にも書いたが、今はDX全盛期。

6年前の状況とは、事業会社の経営陣の考え方や人事制度も6年前とは一変している。
良い意味で前向きな環境が整っている。

しかし、一方でまだ「DXを進めたいが経営の理解が得られない、上司の地位が低い」といった声も多く聞かれる。

この6年間、順風満帆で全て上手くいったとは言えないが、2年以内に情シスグループを課に昇格させ、そこのマネージャーをやった。3年後にはDX推進の企画を経営層に通して、DX推進組織を作り、そこに参加することも出来た。

そういった自分の苦労や経験を、全国の情シス部門のリーダーやマネージャーに共有して、対話しながらお互いの組織を成長させていけたらと考えている。

その流れの中で、全社員のITリテラシーの向上DX推進人材の育成プログラムの開発に関わっている。

さらに、そういった人材育成に必要な組織変革のワークショップへの参加や社内での実践を行っている。

自分の仕事を見てみると、従来の情報システムの企画構築、運用管理にとどまらず、人事や広報、人材育成や教育といった分野に越境している。

最近は、こういった情シス部門を足がかりにした新しいキャリアの幅の広げ方がある事に気が付き、50代以降のサードエイジと呼ばれる年齢層の方に対するキャリアサポートなんかもしていけたら面白いなぁと思っている。


情シスの可能性は無限大
♾️

情シス人材のキャリアも無限大♾️

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