聖書の言葉

求めてみる? 何もしない人生vs求めまくって奔走する人生

変化をするにあたって、一つ軸になっていくのが「仕事」。社会主義のキューバとかに住めば、家や食料は最低限与えられているみたいなのだけれど、日本はばちばちの資本主義。もちろん、お金は必要になってくる。(大好きなキューバの話はいつかまた違う記事で!!)

それで、お花や植物、インテリアが大好きな私にとって、やはり最低限は稼いで、素敵な植物や、家具は欲しい。ということで、何か私のしたい仕事はないかな…そして生活しなければいけないからね。何より。

そんで、誰かが何かいい仕事を持ってきてくれたら…なんて、甘ーいことを考えたり考えなかったり。それで、今は、この破壊をきっかけに新しいことを始めようと色々考え出しているわけだけれど、これがなかなか前に進めない。情報が多いし、知らなければいけないことは無限にありそうな気がして、手をつけるのがだんだん怖くなってくる。

確かに、かつての私の実家での様子は、まさにワクワクも少ない毎日。それに比べたら、今のこの状況って最高じゃないか!と思っては、多すぎる情報に気力を奪われそうになる、の繰り返し。

それで、考えすぎて、もう頭がアリスインワンダーランドの赤の女王くらい肥大化しそうになったから、とりあえず、シンプルに戻ってみることにした。

雇用形態とか、面接でどう答えるかとか、履歴書にはこんなことを書けばいい!とかを考えすぎて気が狂いそうになっていたけれど、そもそも自分の今の立ち位置と、そこからやれそうなこと、したいことはなんなのか。

現実的なことにばかり目をやりすぎると、逆に心の声や直感を見過ごしそうになる。という事で、やりたいこととか、目に留まったものだけにエネルギーを集中させて、よくみていくと、やりたいことは、どんどん着手できるけど、みてみたら全然違うな、というものには身が入らない。

それで、直感とか、自分の素直な心って大事だなって再確認。

それから、フリータイムの時、久しぶりに新約聖書を読んでみた。マタイによる福音書の7の一節が目に留まる。

「求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。門を叩けよ、さらば開かれん。誰でも求めるものは受け、探すものは見つけ、門を叩くものには開かれる。」

本当にその通り。与えられたものばかりを受け取っていては、変化を目指し破壊をした意味がない!

失うものは何もないと思って、求めてみることにする。求めてみて求め返されなければ、また次を求めてみる。どんどん扉を叩いてみる。向こう側に相手がまだいなかったとしても、いつか起きてきて、はい〜。とあっさり返事をしてくれるかもしれない。

そうやって直感と導きと、自分の心の声を信じてみることに決めたからこそ、現実的なアクションに移し始めることが出来るのだと思う。

重い腰を上げて、今日も求めてみることにする。 ー

(おまけ)
高校生の時に、優柔不断な私を父が見かねて、「おい!そんな何も言えないような人に育てた覚えはないぞ!」と怒られ、つい最近も「おい!欲しい方を正直に求めんか!」と言われた。

お父さん、ありがとう。ちゃんと自己主張できるように、大きい声で意見できるようになるよ。それにしてもそんな本気で、2回とも焼肉屋さんで、肉の種類についてムキになって育て方にまで言及する必要ないじゃん。

じゃあ、「私は、牛タンで!!」

ー終わりー

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