破壊と再生ー25歳はじまり日記ー

Viva Boston!

ということで、ボストンにやってきた。Thank you と Sorryしかわからなかったし、それくらいしか話せない。3日3晩泣き続けた。本当にこれでよかったのか、自問自答をして一人でメソメソしていたのだけれど、4日目の昼。外に一歩踏み出すと、このホストファミリーの家には13人の多国籍な学生が住んでることを初めて知り、みんなで放課後バスケをすると、もうホームシックなんて吹っ飛んでいった。三ヶ月は親への連絡をしないほど今ある生活に夢中になった。親からしたら、死んだと思って、心配でたまらなかったみたいだけど。

毎日が刺激的でその1日1日を語れば、話が尽きることはないのだけれど、3つほど魂が喜ぶ出逢いがあった。ひとりはベネズエラ人の優しすぎる男の子。もう一人は、ベルギーの美少女。そして最後はベネズエラ人の信神深い男の子。一人目は、私とハウスメイトで毎日色々な話をしたし、挫けた時は「ハグとアイスクリーム、どっちがいい?」と粋なジョークで励ましてくれた。スーパー頭が良くて、彼の話す言葉と英語に夢中だった。もう一人は、リベラルアーツの素晴らしさを、人生の自由を教えてくれたベルギーの同級生。いつかベルギーを訪れた時はまた会いたい。医者を目指して勉強していたのだけれど、いつも私の拙い英語を一生懸命聞いて、理解して、これからの人生について話し合ってくれた。何より、いつも信じてくれていた。私が感じていること、考えていること、していること。私も彼女のことを心から応援していたし、今も時に思い出しては彼女の幸せを祈っている。

そして3人目は、本当に信神深い人。私は家族でクリスチャンなのだけれど、その懐かしい信仰に触れた気がした。パブロのおかげで。ベネズエラは世界の裏側だけど、お互いに心通わせている。彼こそ、どんなに育った環境が違くても通じ合える人がいるんだ、と思わせてくれた人である。別の文化、全く違う価値観、でもなんだかとても似ている。不思議な人だ。

今でも時々テレビ電話をするほどの仲で、温かい言葉と応援をくれる。小さい頃、日曜の朝に聞いていた母の好きなOno Lisa のBossa Nova のような、”風のようにすぐに消える心地よさと、確かな愛情”

それから、1年後また日本に帰ってきて、今度は浪人生。ボストンにいた時と180度違う人生を歩み始めた。アメリカから帰ってきて、成長したと思わせたかったのか、思いたかったのか、相当無理をして半年間、まず勉強だけの生活をした。そして次に待っていたのは、「破壊」だった。またもや燃え尽きて、引きこもったが、今回はかつてない程の深刻な経験をするのであった。

ー 続く ー

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