昨日、彼女のいない部屋を観た。

 私は昨日、遠い街に行った。普段電車で十分以上かかるところには滅多にいかないのに。
最後にいつ来たかも覚えていない場所。どうしても来たかった。来なければならなかった。
彼女のいない部屋を観に。上映館が少なく、それでもその街が一番近かったのだ。
小学生の息子二人を無事登校させた後、私は疲れ果てて倒れ込んだ。これはいつものことだ。
しばし目を瞑り、今日も子ども達を学校に行かせられたことに安堵する。
小一時間ほど横になり、起き上がった。行くなら今日しかない、と思った。
その遠い街の駅では、駅員さんに映画館までの道を尋ねた。優しく丁寧に教えてくださった。
そこは駅から近く、御洒落でセンスのいい、こじんまりとした場所だった。
私がこの映画を観たかったのは、大好きな俳優のマチュー・アマルリック氏の監督作だからというだけではなかった。子持ちの主婦が突然姿を消す話だと思ったからだ。
何故か昔から、人が突然姿を消す話に惹かれて仕方がない。私にもそういう願望が隠れているのだろう。
子ども達はもちろん愛している。私の全てだ。しかし時折、その幸福に自分が値しない気持ちに囚われることがある。たった一人、のたれ死ぬのがお似合いだと。
映画を観ている間の二時間は夢のようだった。
主人公のクラリスの意識の中に、私たちは否応無く放り込まれる。他の選択肢はない。
現在も、もう一つの現在も、過去ももしかしたら未来も、いっしょくたに語られる。
その平等さときたら、厳密この上ないほどだ。
朝食は?と訊かれて、コーヒー二杯とココア二杯と答えるクラリス。
オレンジ色の日記帳、茶色いスエードのコートは、彼女を守る鎧のように見える。人生の進む方向やスピードに彼女はついていけない。誰だって。私だって。
それでも、彼女は路上をいく。古い素敵な車に乗って。どこにだって行ける。
その事実は希望だ。圧倒的な希望。
それは車の免許すら持っていない私には、眩しすぎて真っ直ぐに見ることすらできない。


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